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未確認航空現象とイエスキリスト。その不思議な関係!?

このところ米軍が「未確認航空現象」の映像を次々に公開している。

最新鋭のジェット戦闘機をまるでからかうかのように、物理法則ではとても考えられない動きをして消えたり現れたりするUFOが実在することを、米軍が公式に認めた形だ。

ただ、まあ、認めたと言っても、言葉遣いを慎重に選んではいる。

「未確認航空現象」だからねー。

未確認飛行物体(UFO)ではなく、未確認航空現象(UAP)なのだ。

現象であって、物体とは言っていない。

まあ、よくわからない説明不可能な現象をパイロットたちが視認したので、その記録を取ってる事実は認めますよ、っていう限度だ。

「現象」と言うことで、物体ではない可能性の含みを残しているってことは、つまり。。。

宇宙人の乗り物かもしれないし
大気圏に生息する未知の生物かもしれないし
謎の霊的存在、霊魂とか天使かもしれないし
未来人のタイムマシンかもしれないし
そのどれでもないなにか、であるかもしれないし

あらゆる可能性に開かれている、ってことになる。

今日の聖書の言葉。

神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
ヨハネによる福音書 3:17 新共同訳

われわれがものごとを認識するためには、言葉による切り分けが必要だ。

なんだかよくわからない曖昧模糊とした原初的な「ある」を、言葉を使って切り分けることによって、「ある」は分節化されて、具体的な個物としての「それ」になる。

この、言葉による分節化、ということについては、こちらにも書いた。

「未確認航空現象」っていうのは、原初的な「ある」に対して「それはなんだかわからない」というレッテルを貼ることによって、最小限の分節化だけしてる状態だよね。

なので、「それ」になろうとして全然それになりきれていない「ある」という感じでは、ある(笑)

人間が言葉によって「ある」を分節化して「それ」を生成するように、神もまた「神の言葉」によって存在を分節化して世界を創造する、と聖書は言っている。

まさにそのことをヨハネによる福音書は冒頭で宣言しているのだ *¹。

万物は言(ことば)によって成った
成ったもので、言によらずに成ったものは
何一つなかった

そればかりか、宇宙を創造した「神の言葉」が身体をとって地上に降り立ったのがイエス・キリストだ、とヨハネによる福音書は主張している *²。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた
わたしたちはその栄光を見た
それは父の独り子としての栄光であって
恵みと真理とに満ちていた

イエスは「神の言葉」だからこそ、曖昧模糊な「ある」を分節化して、個物としてのアイデンティティーをわれわれに与えてくれるわけなんだよね *³。

(イエスは)「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた
すると、死んでいた人が
手と足を布で巻かれたまま出て来た

で、この分節化する、ってこと。。。言葉によって切り分けて、それ、と、それ以外、を区別し差別し分離すること。。。その行為こそが「裁く」ということなわけなんだけど。

今日の聖書の言葉は、なんと「神は世を裁かない」と言うんだ。これは、衝撃的だよね。

「未確認航空現象」のなかには、ありとあらゆる可能性に開かれた存在が、ぜーんぶひっくるめられている。

それみたく、神は「世」に対してレッテル貼りをしない、裁かない、言葉による分節化をしない、と言うんだ。

その結果どうなってしまうかと言うと、「世」のなかに包含されている、ありとあらゆる存在が、ぜーんぶそのまま、神に受け取られることになる。

そのようにして受け取った「世」を、神はどうするかと言うと。。。

「神は世を救う」と今日の聖書の言葉は言うんだよね。

神が御子を世に遣わされたのは
世を裁くためではなく
御子によって世が救われるためである

ここで、救う、という言葉はギリシャ語の原典では「癒す」「解放する」「守る」「保つ」という意味にも訳すことができる単語が使われている。

われわれの観点から言えば、「世」はすでに徹底的に分節化され、具体性と個別性を獲得して、だからこそ、お互いがお互いから引き裂かれ、対立し、衝突し、争い合う、もろもろの「それ」でもって構成されている。

その対立と争いを、われわれは毎日毎日、自分の周囲や新聞やテレビで、嫌と言うほど見させられ、経験させられているのだ。

でも、神はそういう「世」をあえて分節化せずに、ありとあらゆるものを包含したままの状態でイエス・キリストによって救い、癒し、解放し、守り、保つ、と言うのだ。

そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
コロサイの信徒への手紙 3:11 新共同訳

神の言葉は、対象を分節化してこそ、なんぼのもの、であるわけなんだけど。

だって、分節化しない言葉なんて、言葉の機能を喪失してるじゃん!

なので「世を裁かない」という神の救済意志が実現するためには、どうしても「神の言葉のリセット」が必要だったのではないか、と自分は思う。

「神の言葉」の一時的な機能停止としての死。そして、機能停止を経てのリセットとしての復活。

それが、イエス・キリストの十字架と復活のメタな次元での意味だったのではないだろうか。

残念なことに、われわれは言葉でもって物事を切り分けることでしか認識することができない。

それが、われわれの限界だ。

しかし、神の言葉であるイエスは、限界を自由に超えて行く。すでに十字架を経て復活しているからねー。

それはまるで、物理法則にとらわれずに自由に飛び回る「未確認航空現象」みたいだ。

註)
*1.  Cf. ヨハネ 1:3
*2.  Cf. ヨハネ 1:14
*3.  Cf. ヨハネ 11:43-44

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