5分後の世界がどうなるかわからないので、徹底的に愛は、っていう話です。
5分後の世界がどうなっているかわからない「絶対的不確実性の時代」に突入しているわけだけど。。。
そうなってしまうと、いったいどうやって生きたらいいの? って考えても、まあ、考えようがないよね。。。
だって、すべて不確実なわけだから。。。
そんな中でも有効な生き方があるとしたら、それは、固定観念にとらわれないで、どんな展開になっても臨機応変に対応する、ってことなのかもしれない。
まあ、それができるには、アタマが柔かくないといけないと思うんだけど。。。
でもねー。柔軟さを阻害するコダワリ成分というのが人生にはいろいろあって。。。
コダワリを薄める処理をするのは、なかなか大変だ。
今日の聖書の言葉。
だから、もし、強力なコダワリと強力な柔軟性が合体したモノがあったとしたら、それって人生最強のツールじゃないの?
で、あった! そういうのがあったんだよね。それが今日の聖書の言葉じゃないかと思うんだ。
今日の聖書の言葉は「愛の章」と呼ばれるコリント前書第13章のフレーズだ。
そこでは「愛」とは何か? ってことが歌われているんだけれど、ズバリ、これが愛なんだよね。
愛は。。。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える
すごいよ、愛。。。
5分後の世界がどんな展開になろうとも完全に順応する覚悟ができた姿勢。だって、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える、って言うんだから。
で、そんなことを可能にさせるのは、徹底的な「愛」のゆえ、なんだよね。
まさに、愛という強力なコダワリが、どんな状況も乗り越えさせる強力な柔軟性を生み出す、ってことを今日の聖書の言葉は示していると思う(諸説あります)
昨日出席した小坂忠さんの音楽葬で、故人の生前の演奏シーンが映し出されたんだけど、アルバム「HORO」に収録されている「機関車」という曲が流れた。それを聞いて鳥肌が立った。
こういう歌詞だ。。。
僕は君を愛しているんだ
目がつぶれ
耳も聞こえなくなって
それに手まで縛られても
こういう「愛」があれば、どんなふうになっても生きていけるよなー、って感じた。
そして、それをリアルに見せてくれたのがイエスなんだと思った。
われわれを愛するゆえに十字架にかかって死んだイエス。「愛」があれば、たとえ死んでも生きる、ってことをイエスは見せてくれた。だって、文字通り復活したわけだから。
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