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普遍的なアイコンとしてのイエス、その媒体としての翻訳

聖書は、もとはヘブライ語とギリシャ語で書かれてる。一部、アラム語も入ってたりする。

その聖書は、イエス・キリストの福音が広がって行く過程で、世界のいろんな言語に翻訳されて来た。その数は2,500を超えていて、翻訳された文書としては最大だ。

早い頃の翻訳に、ゴート語聖書というのがある。ローマ帝国の国境を侵して勝手に移民しまくっていたゴート人に福音を伝えるために、翻訳者のウルフィラは、すごい苦心したそうだ。なぜなら、聖書の「神」を伝えるのに、適切な言葉がゴート語に見当たらなかったから。なのでウルフィラは、ついに「相談相手」(guth)という単語から「神」(Gott)を造語してしまった。英語の God はここから来てる *。

自分は、現代日本人なので、日本語に訳された聖書を読んでる。ふだん読みに使ってるのは、新共同訳と新改訳2017で、ときどき、フランシスコ会訳とか柳生望訳、あと、リビングバイブルも参照したりする。

今日の聖書の言葉。

すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
フィリピの信徒への手紙 2:11 新共同訳

言語・文化・人種・民族・宗教・政党が違ってたら、共通点をみつけて一致するのは、ほんとうに難しいと思う。。。あまりにも難し過ぎて、絶望的な気分にすらなるよね。。。

聖書は、あらゆる言葉に翻訳されているけど、言葉というのは、新約聖書の原文であるギリシャ語では「舌」(グローッタ)と呼ばれてる。

いろんな「舌」に聖書が翻訳されることによって、言語・文化・人種・民族・宗教・政党が違っているにもかかわらず、だれもが聖書を開いて読み、イエスに思いを寄せ、信じ、祈ることが、可能にされていると思う。

まあ、メディアが発達した現代にあっては、イエスよりドラゴンボールの悟空とかポケモンの方が普遍的アイコンとして機能する場合もあるのかもしれないけど。。。

でも、世界で最大公約数的に祈られている対象は、まだイエスなんじゃないかなー、と思う。

すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、
父である神をたたえるのです。 

新約聖書が上記の宣言をしたのは、約2000年前のことだ。クリスチャンが世界のなかでマイノリティー中のマイノリティーだった時代のこと。

そんな人数が少ない状況で、どうして「すべての舌がイエス・キリストは主であると称える」なんて大胆な予測ができたんだろう? たたえられたらいいのにね、とか、たたえられるよう頑張って目指します、とか、たたえられるようにみんなで祈りましょう、じゃなくて、たたえるのです、って、断言しちゃってるし。

そりゃ、もちろん、信じてそう書いたんだろうけど、それから2000年たったいま、信じたとおりにほぼなっていることを思うと、聖書って、不思議な本だよな、と感じる。

註)
* 小塩節『銀文字聖書の謎』2008年。

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