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だあれもいないと思っていても。。。どこかで、どこかで。。。

こころに残るコマーシャルソングって、いろいろあるよね。

けれど、こころに残る、っていうレベルを超えて、魂に刻印されてるレベルのものがある。

自分にとっては、森永ミルクキャラメルのエンゼルの歌が、それ。

孤独を感じるとき、魂の水面下みたいなとこから、この歌が浮上してくる。

だァれもいないと思っていても
どこかでどこかで エンゼルは
いつでもいつでも ながめてる

寂しいとき、口に出して歌いはしないんだけれど、魂のなかに響いている。

そして、思うんだ。

エンゼルちゃん。。。って。。。

今日の聖書の言葉。

主を呼ぶ人すべてに近くいまし
まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
主を畏れる人々の望みをかなえ
叫びを聞いて救ってくださいます。
詩編 145:18-19 新共同訳

にしても、知らなかったなぁ。。。

この note を書くのに、ちょっと調べたら、エンゼルの歌って、なんと1節から5節まであるんだって。

歌:川田孝子, ゆりかご会
作詞:サトウハチロー
作曲:芥川也寸志

1.だァれもいないと思っていても
  どこかでどこかで エンゼルは
  いつでもいつでも ながめてる
  ちゃんと ちゃんと ちゃんと ちゃんと
  ちゃちゃーんと
  ながめてる

2.だァれの耳にも聞こえはせぬが
  小声で小声で エンゼルは
  すてきな歌を うたってる
  ちゃんと ちゃんと ちゃんと ちゃんと
  ちゃちゃーんと
  うたってる

3.だァれもすがたをみたことないが
  しずかにしずかに エンゼルは
  朝でも夜でも とんでいる
  ちゃんと ちゃんと ちゃんと ちゃんと
  ちゃちゃーんと
  とんでいる

4.だァれも口には出さないけれど
  ないしょでないしょで エンゼルと
  はなしをしたいと 思ってる
  ちゃんと ちゃんと ちゃんと ちゃんと
  ちゃちゃーんと
  思ってる

5.だァれのねがいも祈りもみんな
  なにからなにまで エンゼルは
  すっかりおぼえて すましてる
  ちゃんと ちゃんと ちゃんと ちゃんと
  ちゃちゃーんと
  すましてる

 (by J-Lyric.net

5節は、実際には歌われなかったらしいんだけど。。。

でも、5節の歌詞って、ミョーに魂にシミルなあ。。。

だァれのねがいも祈りもみんな
なにからなにまで エンゼルは
すっかりおぼえて すましてる

なんか、不思議。。。

幼い自分の記憶には、1節しか残ってない。。。だって、コマーシャルでは1節しか流れなかったから、それしか知らないんだもん。

なのに、この、歌われなかったはずの5節の余韻が、自分の魂のなかに、ちゃーんと残っている気がするんだよね。。。

気のせいかな。。。

でも、残ってるんだよな。。。

どうしてだろう。そんなことって、あるのかな。。。

1~5節まで歌をつくって、1節しか知られてないのに、その1節のなかに、残りのぜーんぶが凝縮されてる、みたいなことが。。。あるのかな。。。

だから、やっぱり、エンゼルの歌は、自分にとって、魂レベルで刻印されたコマーシャルソングなんだなあ、という思いをあらたにした。

そして、これは、自分と神と聖書の関係に、似ているよなあ、と思った。

クリスチャンになって、聖書の全巻通読を何度もやっているけれど。。。残念なことに、読んだはしから忘れて行くありさまで。。。

だから、何度読んでも、あれっ、こんな言葉、あったっけ? っていう経験をさせられる。。。

でも、何かで行き詰ったとき、お祈りの言葉が出なくって、もう「イエスさま!」しか言えないようなときがあって。。。

ところが、ただ主の名を呼んだだけで、聖書全巻に書かれている恵みの言葉が、ガーって、ぜーんぶ迫ってくるように感じることが、ある。

不思議だ。。。

それはほんとに、魂の経験、としか言いようがないものだ。

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