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#960 祈りながら眠くなった時、どうする? っていう話です。

祈っていると、どうもなんだか眠くなってしまって、なにを祈ってたんだかわからなくなる、ってことが、まあ、ある。

なので、朝に祈るのではなく、夜に祈るようにすると、これがねー。。。

夜に祈ると、よけいに眠くなって、そのまま寝てしまうという(笑)

じゃあ、昼は? 昼に祈ると、昼食後なので、やっぱり気持ちよくなって来て。。。

しょうもないので、もうね、歩きながら祈るようにした。

歩きながら祈っていると、さすがにね、眠くはならない。

だってさ、眠りながら歩くことはできないじゃんか!

今日の聖書の言葉。

どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
エフェソの信徒への手紙 6:18 新共同訳

祈りの訓練というのは、むかしから睡魔との戦いだったんだなー、って思う。

そもそも使徒ペトロだって、昼間に祈りながら、うたたねしてしまったわけだから。。。

これだ。

ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。 彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、 天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。
使徒言行録 10:9-11 新共同訳

まあ、上記を見ると、ペトロは祈りながら眠っていたわけではなく、祈りながら忘我の状態になってビジョンを見た、ってことなんだけどさ。。。

でも、はたから見たら、気を失って眠っているように見えたに違いない。

そもそも、イエスがゲッセマネの園で祈りの格闘をしていたとき、一緒に祈ってくれとイエスから頼まれた三人の弟子たち(ペトロ・ヤコブ・ヨハネ)は、完全に熟睡してしまっていたわけだからねー。。。

これ。

(イエスが)弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。」
マタイによる福音書 26:40 新共同訳

こういうのを見ると、祈りながら眠る、眠りながら祈る、っていうことにクリスチャンたちは苦心して来たんだなー、って思う。

だからだろうね。今日の聖書の言葉が「目を覚ませ!」って檄を飛ばしているのは。。。

どのような時にも
“霊”に助けられて祈り、願い求め
すべての聖なる者たちのために
絶えず目を覚まして
根気よく祈り続けなさい

あ、また眠っちゃった、いけねー、って思って、そこで祈りを止めるのではなくって。。。

どのような時にも、あきらめないで、目を覚まして、根気強く祈り続けることが大切なんだなー、って思う。

ときには、あまりに眠すぎて、アタマがボーっとして、祈りの言葉が、なにがなんだかわからない異言みたいになっちゃうこともあるけれど。。。

でも、それって、もしかしてもしかしたら、ほんとの「異言」なのかもしれない。

だって、聖霊は、われわれの祈りを切なるうめきをもって助けてくれるわけだから。

証拠聖句が、これ。ここに出て来る "霊" っていうのは、神の霊である「聖霊」のことだ。

わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。 人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
ローマの信徒への手紙 8:26-27 新共同訳

どう祈ったらいいか、わからないとき、とにかく「うーっ」って唸ってみる。

だって、聖霊は「言葉に表せないうめき」をもって自分の代わりに祈ってくれる、って言うんだもの。

その「うーっ」のなかに、自分の過去も現在も未来も、自分自身が知らない自分の本当の想いや願いすらも、ぜーんぶまるっとご存じの神さまが、聖霊となって、聖霊の「うめき」でもって、自分の代わりに祈ってくれる。。。

そう信じる。

だから、お祈りしながら、あー、また眠くなって来た、って思ったら、やってみるんだ。うーっ、って。

うーっ!


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