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水泳、悟り、聖なるあきらめ、からの、浮上。

自分は子どものころ肺炎をやって、それからというもの、風邪をひくたび、必ず気管支炎になっていた。。。

なので、呼吸器を鍛えるために、小学生時代は水泳教室に通わされてた。高円寺駅前のフィットスポーツクラブ。。。閉店して、いまは存在しない。

泳ぐときって、沈まないようにっ、て、力を入れると、どんどん沈んで行くんだよね。。。

その、沈んじゃうっ、という恐怖心を打ち消し、力を抜いて、ゆったりすると、不思議なことに、ぷかーっ、と体が浮き上がるのだ。

小学校高学年になると、アレルギー性鼻炎がひどくなって、アニメ「いなかっぺ大将」の風大左衛門みたいに、鼻水がビローンって、床まで届くほどになってしまい、体質改善の注射を近所の医院で週に2回打つことになった。。。これが理由で、プールとは縁が切れた。。。

そんなタイミングで、仏教に興味を持ち、現代語訳の仏典を読み漁るようになったんだけど、お釈迦さまって、プールで泳ぐのと、なんか似てるよな、と思った。

お釈迦さまは「悟りを開きたいっ」という一心で修行してたにもかかわらず、うまく行かなかった。。。悟りとは、あらゆる執着からの解放だけど、悟りに執着することによって、かえって、執着心が酷くなっていた、というわけなんだ。なんというアイロニー。。。そこに気づいたお釈迦さまは、スジャータ姫から差し出されたコップ一杯の牛乳を飲み干し、悟りへの執着を手放して、菩提樹の下に静かに座り、悟りを開いた。。。力むと沈み、ゆったり力を抜くと浮くという、水泳になんか似てない?(笑)

今日の聖書の言葉。

自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
マルコによる福音書 8:35 新共同訳

生きてると、次から次へ、いろんな問題、課題、悩みが発生してくる。それらに没頭し、悪戦苦闘してると、事態がいよいよ悪化する。この問題を絶対解決したい、という思いが、強ければ強いほど、自分を空回りさせていく。。。フィットスポーツクラブに入りたての頃の自分。。。牛乳を飲み干す前のお釈迦さまみたいだ。。。

なので、イエス・キリストに、すべておゆだねする、ということが、自分の場合には、どうしても必要だ、と考えている。

イエスさま、これは、わたしがずっと心を注いで来た問題で、絶対どうにかしなきゃ、と力を尽くして来ましたけれど、自分ではもう、どうすることもできないことが、わかりました。なので、イエスさま、これを、あなたに、おゆだねします。わたしは、これを、手放します。いまからのちは、ただ、あなたの最善のお心がなるようにしてください。アーメン

そう祈るしかないんだ。。。するとねー、不思議なことに、ほんと、ぷかーっ、て、浮かび上がることができる。そんな経験を、これまで何度かしている。


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