大江田信

レコード会社で制作宣伝を20年。渋谷"ハイファイ・レコード・ストア"の店長を24年。 TBSラジオにおいて音楽選曲を33年。フォークデュオ「林亭」の活動を50年。 音楽原稿の寄稿、CD解説・監修も。 https://www.facebook.com/makoto.oeda

大江田信

レコード会社で制作宣伝を20年。渋谷"ハイファイ・レコード・ストア"の店長を24年。 TBSラジオにおいて音楽選曲を33年。フォークデュオ「林亭」の活動を50年。 音楽原稿の寄稿、CD解説・監修も。 https://www.facebook.com/makoto.oeda

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    • ポピュラーソング・グラフィティ

      ポピュラー・ソングのあれこれを巡る雑記帳です。

    • ロックを振り返る。

      2022年秋から大学で音楽文化論の受講を始めました。講義内容の整理と、自分なりの受け止めを加えてまとめています。

    最近の記事

    ロッカバラードへと変身してヒット曲になった

    「恋のゲーム (It's All In The Game)」と言えば、オールディーズのコンピに必ずと言って良いほど、収録される一曲だ。歌っているのは、黒人シンガーのトミー・エドワーズ。 通常、よく知られているのは1958年に全米1位になったステレオのヴァージョン。ボクもこちらを聞いて知っていた。 ところがこの曲に、もう一つのヴァージョンがあるという。それが1951年に発表され、全米18位まで上昇したモノ版だ。 51年のこのヒット以降しばらく、トミーはパッとしなかった。レコー

      • シンガー・ソングライターの感性で、ジャズを歌う

        音楽大学に進学する夢が叶わず、収入を得るための軽い気持ちでジャズを歌い始めたのが、1950年代半ばの頃。憧れていたフランス人女優の名をもじって、彼女はニーナ・シモンと名乗った。 レコード・デビューのチャンスを掴み、味わいのあるボーカルがファンを生み出したにもかかわらず、旧来のジャズの世界とはなかなか馴染まなかった。むしろロックやフォークを支持する若い聴衆の注目を得てからというもの、熱狂的な解放感につつまれるコンサートを繰り返しながら、ジャズとソウルとフォークとロックを一体化

        • おバカなロックンロールを口パクで歌ったイアン・ウィットコム

          戦前ジャズをベースとした徹底的に懐古趣味な博覧強記の英国人音楽家として知られたイアン・ウィットコム(1941 – 2020)が、自身の60年代を回想する「Rock Odyssey」(1983)において、愉快なエピソードを披露している。 学生時代にアメリカのブルースやR&Bなどが大好きになったイアンは、渡米旅行の際に西海岸のとある小さなレコード会社に、ノベルティ・タイプの自作ロックンロール「You Trun Me On」のデモテープを持参した。それが後にリリースされ、なんと1

          • 恋人の心変わりに気づいた彼女は、拳銃を取り出して彼を撃った

            ミス・オーティス・リグレッツ 「ミス・オーティスは、本日のランチにお越しになれないそうです」と執事がマダムに伝えるところから、歌が始まる。なぜミス・オーティスが、ランチに来られなくなったのか、その理由がふるっている。 昨日の晩、ミス・オーティスは「ラヴァーズ・レイン」で、恋人とはぐれてしまった。今朝になって恋人の心変わりに気づいた彼女は、拳銃を取り出して彼を撃った。その後、収監されたものの、荒れ狂った群衆によってミス・オーティスは留置場から引き摺り出され、柳の木に吊るされ

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            "豊かさの終焉"がもたらした1970年代のアメリカとロック

            音楽文化論の聴講[第12回] 1970年代 | 続ロックの多様化、テクノロジーの進歩とロック表現の進化、ファンクの登場 ●大学の音楽文化論の12回目の授業は、「ロックの多様化に影響を与えた70年代米国の社会状況をさらに理解」し、「ロックの表現の多様化とテクノロジーの進歩の関係について理解」し、そして「R&Bから派生した70年代のソウルとファンクについて理解」するというものです。 以下に、先生の指摘や説明をまとめます。 ●60年代後半、ロック演奏における大音量の誕生と、それ

            ロックンロールにおいて始まった「黒人音楽と白人音楽の混合」が、その後、どのような展開を見せたのか

            音楽文化論の聴講[第8回] 1960年代 | R&B、ソウルと独立系レコード会社 ●大学の音楽文化論の8回目を欠席しました。レジュメを元に、授業内容を書き起こしておきます。 ●大学の音楽文化論の8回目の授業は、「米国ロック史の「谷間」の時期としてみなされがちな60-64年の動向を確認」し、「分断されてきた白人音楽と黒人音楽のミュージシャンと聴衆者の関係の変化を理解」し、そして「新しいR&Bとソウルの誕生の概要を理解」するというものです。 以下に、先生の指摘や説明をまとめま

            "カズー"を間奏にフィーチャーした大ヒット曲

            内気なジョニー ジョニー・ソマーズは、トミー・オリヴァーのビック・バンド専属のクラブ歌手経験を経て、1959年にワーナー・ブラザーズよりレコード・デビューした。ジャズ風味を効かせたサウンドをバックに、スタンダード・ナンバーを巧みに歌ったものの、なかなかヒットが生まれない。そこで企画を一新、ティーンエイジャー向きの作品を発表することになった。こうしてリリースされたシングル「Johnny Get Angry 内気なジョニー」が、1962年に全米7位の高位を記録した。 60年に全

            1970年代アメリカで、なぜ自己告白的なシンガー・ソングライターの輩出が起こったのか

            音楽文化論の聴講[第11回] 1970年代 | ロックの商業化 米国での「ロック」の多様化 英国でのプログレシブ・ロックとハード・ロックの誕生 ●大学の音楽文化論の授業の11回目は、「音楽メディアとしてのレコードとロック・ビジネスの巨大化について理解」し、「ロックの多様化を知識と多様な曲の視聴によって理解」するというものです。 ●レコードはポピュラー音楽の歴史の中で、長い間に渡って主流であった物理的なメディアであり、1960年代以降のロックの普及に最も貢献したメディアでし

            いつ戦争に徴兵されてもおかしくない不安の日々を過ごす若者たちと、60年代ロック

            音楽文化論の聴講[第10回] 1960年代 | 1960年代のウエストコースト、カウンター・カルチャーとロック ●大学の音楽文化論の授業の10回目は、1960年代のウエストコーストの状況、カウンター・カルチャーとロックを振り返るものでした。 「1960年代の全体的なロックの動向について確認」し、「ウエストコーストのロックについて概要を理解」し、「1960年代のカウンター・カルチャーとロックの関係について理解」するというものです。 ●ロックンロールがロックと呼ばれるように

            ふたつの"スタンド・バイ・ミー"

            スタンド・バイ・ミー 「スタンド・バイ・ミー」と言えば、「ラスト・ダンスは私に」などのザ・ドリフターズに在籍したベン・E・キングが、ソロ転向後の1961年に発表した楽曲。キング自身とリーバー&ストーラーの共作による作品で、全米4位を記録した。 愛する人に向けて「ダーリン、ダーリン」と歌い掛けながら、「あの空が崩れ落ちてきたとしても、キミがそばにいてくれたらボクは泣かない / キミがトラブルに巻き込まれたら、ボクのそばに来ればいい」と、二人を結ぶ愛を描く。 86年に同名アメリ

            ボブ・ディランが受けたブーイングの真相は?

            音楽文化論の聴講[第9回] 1960年代 | フォーク・ロックの誕生 プロテスト・ソングと社会運動 ●大学の音楽文化論の授業の9回目は、ロックの誕生に寄与したアメリカにおけるフォーク〜フォーク・ロックの動きについて、振り返るものでした。 「フォーク・ロックの源流であるフォーク・ソング(ミュージック)とは何かを理解」し、「フォーク・ロックの誕生の契機と展開とその社会背景について理解する」というものです。 ●フォーク・ソング、あるいはフォーク・ミュージックとは何か?を、厳密

            「君を独り占めしたい!」とのナンパの歌

            中国行きのスロウ・ボート 「中国行きのスロウ・ボート」は、小説のタイトルとして知った。著者は村上春樹。そういう歌があることは、知らなかった。小説を読み終えてから、初めて歌を聞いた。 恋人に欲しいと希望する数多い志願者を岸壁に取り残して、アメリカから中国まで彼女を独占しつつ長い船旅を過ごせば、気を許してくれるだろうと歌う。スロウ・ボートとは貨物船のことだ。作詞作曲は、フランク・レッサー。1948年にハリー・バビットとグロリア・ウッドの男女ボーカルをフィーチャーしたケイ・カイ

            "名誉と財産を得た次に望むものは?"との質問に、ビートルズは「平和」と答えた

            音楽文化論の聴講[第7回] 1960年代 | ビートルズの登場とブリティッシュ・インヴェイジョン 大学の音楽文化論の授業の7回目は、前回に引き続きイギリスのポピュラー音楽状況を振り返るもので、「1960年代 | ビートルズの登場とブリティッシュ・インヴェイジョン」でした。 「イギリスにおけるビート・ミュージックとビート・バンドの誕生とその展開について理解」し、「ブリティッシュ・インヴェイジョンが、アメリカのポピュラー音楽に与えた衝撃、そして「ロック」というジャンルの形成に

            17歳、21歳、35歳。かつて付き合った女性たち。

            楽しかったあの頃 フランク・シナトラのレパートリーとして知られる「楽しかったあの頃 / It Was A Very Good Year」。17歳、21歳、35歳、それぞれの時期に付き合った女性たちの思い出を述懐しながら、黄昏の入り口に達した自分の人生を、まるで"古い樽に入ったヴィンテージ・ワインのようだ"と表現する歌だ。 作詞作曲は、アーヴィン・ドレイク。こうしたオリジナル作品、ブロードウェイの仕事のほか、カンツォーネの「アル・ディ・ラ」やラテンの「ティコ・ティコ」「クァ

            エルヴィスにはなれなくとも、ロニー・ドネガンにはなれる

            音楽文化論の聴講[第6回] 1950年代 | イギリスとアメリカポピュラー音楽 大学の音楽文化論の授業の6回目は、「1950年代 | イギリスとアメリカポピュラー音楽」でした。「イギリスでのロック誕生以前のポピュラー音楽の歴史を、イギリスの社会状況とともに理解」し、「アメリカ文化、アメリカのポピュラーが音楽が、イギリスに与えた影響について理解」するというものです。 冒頭でイギリス社会を理解する上で必須となるイギリスにおける階級について、そして大英帝国最初が最初の植民地とし

            カリフォルニアの空は、何色なのだろう?

            カリフォルニアの青い空 ポピュラー・ソングに「カリフォルニア」が登場するのはいつの頃からなのか、おそらく相当に昔のことだろうと思う。19世紀中頃にはカリフォルニアで新たに金が発見されたことから、一攫千金を求めるゴールドラッシュが起きた。この時にはアメリカ国内のみならずヨーロッパからも入植者があったほどというから、カリフォルニアという言葉が相当多くのアメリカ人の口をついたことはずだろうし、歌にも歌われたに違いない。「カリフォルニアはエデンの園。住むならパラダイス。お金があれば