大江田信

レコード会社で制作宣伝を20年。渋谷"ハイファイ・レコード・ストア"…

大江田信

レコード会社で制作宣伝を20年。渋谷"ハイファイ・レコード・ストア"の店長を24年。 TBSラジオにおいて音楽選曲を33年。フォークデュオ「林亭」の活動を50年。 音楽原稿の寄稿、CD解説・監修も。 https://www.facebook.com/makoto.oeda

マガジン

  • 亜米利加レコード買い付け旅日記

    かつて輸入中古レコード店で働いていたボクは、年に数回ほどレコードの買付にアメリカを旅していました。そして「亜米利加レコード買い付け旅日記」と題するエッセイに、旅の最中に経験していたことを記し、ホームページに掲載していました。熱心に旅日記を書いていたのが20数年ほど前と、相当に昔のことなので、モーテル一泊の値段が今とは全く違っていたり、文中の建物が無くなっていたりと、状況が変わっていることもあります。それでも見返してみると、新鮮な思いで読むことができました。旅日記の数点を、これから再掲してみたいと思います

  • あの人を訪ねる

    ゆっくり話を聞きたいと思っていた人がいた。さりげない振る舞いや、ふと発する言葉に惹かれた。自分の場所で生きているように見えた。どんな来し方をしてきたのだろう。覗きたくなった。そんな人たちの探訪記。

  • ポピュラーソング・グラフィティ

    ポピュラー・ソングのあれこれを巡る雑記帳です。

  • ロックを振り返る。

    2022年秋から大学で音楽文化論の受講を始めました。講義内容の整理と、自分なりの受け止めを加えてまとめています。

最近の記事

亜米利加レコード買い付け旅日記 10

 こちらも1999年に投稿した原稿の再掲です。  最後のオチについて、ちょっとしたプラスの情報が必要なのですが、ここで書いてしまうとつまらないので、後書きに記します。ということで。  1954年7月、エルヴィス・アーロン・プレスリーは、メンフィスのサン・レコードのプロデューサー、サム・フィリップスの手によってレコード・デビューをした。カントリー歌手の新星、というのが触れ込みだった。地元界隈の反響に自信を得たサムは、カントリー音楽の殿堂、天下のグランド・オール・オプリにエルヴ

    • 亜米利加レコード買い付け旅日記 9

       こちらも、20数年ほど前にホームページに投稿していた原稿の再掲です。  年老いた店主が一生をかけて作ってきた店の閉店が始まっていると、もう随分と前から聞いてきました。店主の引退に伴って後継の若い世代が在庫を買い取り、それを整理して自身の店のストックに加える際に、若きオーナーにとって価値がないと思われるレコードを処分するという話も聞きました。  今回の話のご主人のように、長い時間をかけて集めたレコードのすべてを、まるで図書館のように並べようとする店は、おそらくもう今後は現れな

      • 亜米利加レコード買い付け旅日記 8

         かつて、輸入中古レードを扱う店の経営者をしていました。アメリカ中を旅しながらレコードを買い求め、それを日本に運び入れ、せっせと盤を磨いて綺麗にして、ボクらなりのコメントを添えて、お買い求めいただきました。そんな生活を25年ほど過ごしてのち、数年前に代表を退任しました。  「亜米利加レコード買い付け旅日記」シリーズは、そうしたレコード買い付けの旅の最中に経験したことを記し、ホームページに掲載していた原稿の再掲です。今回の原稿は、そういう意味ではアメリカ旅日記ではありません。店

        • 亜米利加レコード買い付け旅日記 7 

           「亜米利加レコード買い付け旅日記マガジン」のご案内に記したように、こちらも20年以上も前に書いた原稿です。  テックス・メックス、またの名をテハノ・ミュージックと呼ばれるテキサスのメキシコ国境近くで演奏されるローカル・ミュージックは、かつてはカセット・テープで売られていました。いまでは録音物のメディアはCDに変わっているか、それとも配信へと姿を変えているのかもしれません。さらに文中に登場するスティーヴ・ジョーダンもまた、2010年に71歳で亡くなりました。  それでも毎夜、

        亜米利加レコード買い付け旅日記 10

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          大江田信

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          亜米利加レコード買い付け旅日記 6

           ボクらのようにレコード買い付けのために、アメリカを車で走り回るような者にとっては、モーテルが最も使い勝手の良い宿泊施設だ。ダウンタウン界隈のホテルに比べて値段が安い、駐車場料金もまず無料、簡単な朝食がついている、ホテルの無いような小さな街でもモーテルはある、といったところが利点。難点といえばエレベーターがない場合があるので、重たいレコードをかかえて階段を上り降りしなければならない(これはよくある)、駐車場から部屋まで荷物を運ぶラゲッジ・カートの用意がない(たまににある)、窓

          亜米利加レコード買い付け旅日記 6

          亜米利加レコード買い付け旅日記 5

           アメリカの中古レコード店について書かれた文章というのを、ほとんど見かけたことがない。そんなモノに興味を持つのはごく限られた人に違いない、それもそのはずだと思っていたら、最近ふと購入した村上春樹著「やがて哀しき外国語」(1994)に実に面白い一文をみつけた。1991年から2年半に渡ったアメリカ滞在記である同書の一節、「誰がジャズを殺したか」の中に、実に魅力的な語り口で、とある中古レコード店のことが描かれている。  村上春樹がジャズ喫茶を経営していたことがあるのは、有名なエピソ

          亜米利加レコード買い付け旅日記 5

          亜米利加レコード買い付け旅日記 4

           ジムとはなかなか連絡が取れなかった。いつもだったらメールをすれば、間髪を入れずに返事が返ってくるのに、何回メールしても返事がない。電話をしてみても、留守番電話が対応するだけ。意を決して「返事を下さい」とテープに吹き込んだのだが、それもダメ。そういえばと思い直して、ジムのことを紹介してくれたレコード屋の店主、グレッグあてに電話を入れて、やっと事情がわかった。「奥さんに癌が見つかり、夫婦ともにテキサスで療養中で、もう半年近く。そろそろ家に戻ってくるから、電話をしてみるといい」と

          亜米利加レコード買い付け旅日記 4

          亜米利加レコード買い付け旅日記 3

           買い付け中に突然の病気に倒れ、救急車で運ばれ入院したことがある。退院時に手渡された書類を持って、帰国してからかかりつけの医者に見てもらうと、ひどく顔色が曇ったところをみると、決して笑い事ではなかったのだろう。  ボクの方から救急車を頼んだのだから、実は運ばれたという表現は適当ではない。モーテル近くのモールにあるローストビーフ・サンドイッチの店、アービーズで朝食をとっているうちに、急に体調が悪くなった。ベンチに横になり、一緒に旅をしていた阿部君に、救急車を呼ぶように頼んだ。

          亜米利加レコード買い付け旅日記 3

          亜米利加レコード買い付け旅日記 2

           いつも通りに高速道路の高架の下をくぐって、広々とした芝生が広がる敷地に世界各国の国旗がはためくフォード社の前を横切ると、市庁舎の数ブロック先の右手に、その店「H」はあるはずだった。裏手の駐車場に車を停めてから、入居者募集中の看板をかけてあるだけのガランとしたビルが目立つ界隈を、ちょっと駆け足で走り抜けさえすれば、昼のさなかでさえも人影が薄くていささかぶっそうなこの街でも、飛び切りのレコード屋に飛び込めるはずだった。それが、無い。夕暮れになれば店内のあかりが界隈に暖かさをもた

          亜米利加レコード買い付け旅日記 2

          亜米利加レコード買い付け旅日記 1

           かつて輸入中古レコード店で働いていたボクは、年に数回ほどレコードの買付にアメリカを旅していました。そして旅の最中に経験していたことを「亜米利加レコード買い付け旅日記」と題するエッセイに記し、ホームページに掲載していました。  熱心に旅日記を書いていたのが20数年ほど前と、相当に昔のことなので、モーテル一泊の値段が今とは全く違っていたり、文中の建物が無くなっていたりと、状況が変わっていることもあります。それでも見返してみると、新鮮な思いで読むことができました。  そんなエッセ

          亜米利加レコード買い付け旅日記 1

          音楽家 佐久間順平と会った_2

           ゆっくり話を聞きたいと思っていた人がいた。さりげない振る舞いや、ふと発する言葉に惹かれた。自分の場所で生きているように見えた。どんな来し方をしてきたのだろう。覗きたくなった。そんな人たちの探訪記「あの人を訪ねる」。  第四回には、佐久間順平クンに登場していただきました。  音楽で生きていこうと決意し、高田渡&ヒルトップ・ストリングス・バンドを経てさとう宗幸さんのサポートを担当、さらにまた学生時代から続いた高田渡さんとの付き合いのあれこれを聞きました。 (笑)という文字を

          音楽家 佐久間順平と会った_2

          音楽家 佐久間順平に会った_1

           ゆっくり話を聞きたいと思っていた人がいた。さりげない振る舞いや、ふと発する言葉に惹かれた。自分の場所で生きているように見えた。どんな来し方をしてきたのだろう。覗きたくなった。そんな人たちの探訪記「あの人を訪ねる」。  第四回には、佐久間順平クンに登場していただきました。  佐久間クンとボクとは、高校時代の同級生でした。ボクらが通っていた高校は、旧制高校の名残りとかで、教室前方の右側から名前のあいうえお順に机が並んでおり、ボクの左隣の席が佐久間クンでした。この席次は、高校の

          音楽家 佐久間順平に会った_1

          音楽家 佐久間順平と会った_3

           ゆっくり話を聞きたいと思っていた人がいた。さりげない振る舞いや、ふと発する言葉に惹かれた。自分の場所で生きているように見えた。どんな来し方をしてきたのだろう。覗きたくなった。そんな人たちの探訪記「あの人を訪ねる」。  第四回には、佐久間順平クンに登場していただきました。  佐久間クンとボクとは、高校で同級生でした。高校時代に二人が組んだデュオ「林亭」の活動は、間断を挟みつつ今も続いており、以来50年余の永き時を重ねました。  そしてお互いの年齢は、70歳の古希になりました

          音楽家 佐久間順平と会った_3

          シンガーソングライター 辻井貴子に会った_2

           ゆっくり話を聞きたいと思っていた人がいた。さりげない振る舞いや、ふと発する言葉に惹かれた。自分の場所で生きているように見えた。どんな来し方をしてきたのだろう。覗きたくなった。そんな人たちの探訪記「あの人を訪ねる」。  第三回には、辻井貴子さんに登場していただきました。  2024年1月1日に、ソロ・アルバム「わたしのうた」を発表する辻井貴子さんへのインタビュー後編です。  ソロ活動を選んだ経緯、歌づくりの方法、次作の展望など、"やぎたこ"その後のあれこれについて、語ってい

          シンガーソングライター 辻井貴子に会った_2

          シンガーソングライター 辻井貴子に会った_ I

           ゆっくり話を聞きたいと思っていた人がいた。さりげない振る舞いや、ふと発する言葉に惹かれた。自分の場所で生きているように見えた。どんな来し方をしてきたのだろう。覗きたくなった。そんな人たちの探訪記「あの人を訪ねる」。  第三回には、辻井貴子さんに登場していただきました。  やぎたこの一員として活動していた辻井貴子さんは、2022年の2月9日、相棒の"やなぎ"こと、柳澤昌英さんの突然の逝去により、思いがけずソロ活動を余儀なくされました。  あれから1年半余。活発だったやぎたこ

          シンガーソングライター 辻井貴子に会った_ I

          「翻案歌」って、なあに?

          「翻案」という言葉を初めて知ったのは、大学の日本演劇の授業でのことだった。大変に熱心に深い愛情を持って文楽についての研究を進めておられた内山美樹子先生から、文楽の歴史、演目、作家としての近松門左衛門についてなどを学んだ。授業では仮名手本忠臣蔵の床本を読み、それが上演されているということで、国立劇場で実際の舞台を見た。 その内山先生が、「ここまで人気が落ちるなんて」と悔しそうに話されたのが、文楽に活路を見出したいとして戦後間もなく、1956年に上演されたシェークスピア作品の『ハ

          「翻案歌」って、なあに?