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愛は地球を・・・

【※個人的な意見あります。】
 毎年、日本テレビで放送されている「24時間テレビ 愛は地球を救う」。
 僕は、好きか嫌いかというと、どちらでもないというのが正直なところですが、いつくかの疑問や違和感があるので、述べてみたいと思います。

①24時間を通して生放送で行なう必要があるのか。
②「感動させる演出」は必要か。
③パーソナリティーに番組は何を期待しているのか。
④果たして本当に障害者の理解につながっているのか。

 他にも気になるところはあるが、大きくは以上の4点。

 僕はチャリティーとか募金を否定しているのではない。
 でも、だだっ広い会場に、何を考えているか分からない有名人が、好感度かもしれない、涙を流すためにやってくる。そして、何かに挑戦している姿をそのときだけ見せているという風にしか見えないときがある。ことあるごとに「感動」しなくてはいけないのか。

 歌で「勇気を与える」「応援する」のは間違いではない。でも、なんだろう。このモヤモヤ感やイライラ感は。
 現場で常に障がい者や苦労されている方の支援者の苦労や戸惑いを無視しているように見えてしまう。都合のいい所だけを放送しているのか。

 今の時代は、募金の方法も変わってきているし、働き方改革も言われている。直接、現場にいかなくともインターネットやスマホでも募金はできる。「現場に行かないと、募金ができない」とは決まっていないはず。交代制かもしれないが、24時間以上も取り組む出演者や、何より番組スタッフの負担もあると思ってしまう。

 そうは言いつつも、気になっているコーナーやチャレンジは観ていることはあります。ただ、一時だけの応援のような感じがしてならない。ただ、いくら観ても埋まらないのは「もう一歩先の支援がない」からだと思う。また、現在進行形で苦労している人たちはテレビなんて観ている暇はない。

 『頑張っている姿を見てもらおう!』

 だったら、現場は現場で頑張りを見せて、有名人はナレーションだけでもいいと思います。インタビューが必要だとしても、わざわざ有名人が行かなくてもいいのでは、と思う。

 また、チャレンジしている人はどんな気持ちなんだろうとも考えてしまいます。人によってはあんな大きなステージに立つ。あのステージに立つことが、そんなにすごいことなのか?
 頑張ったけど「テレビ映りが悪いから」「暴れてしまうから」等と選別されしまうこともあるはず。
 できる障がい者(すみません。いい表現が思い付きませんでした)だけを映すことになっているのではないか?

 何かに「挑戦」することに意味があるのなら、もっと生活や現場に密着してみたら、どうだろうか?
 例えば「1日ベッドに寝たきり体験」「精神科病棟(もしくは、デイケア)に1日密着しよう」みたいな方がいい?でも、テレビ的には面白くないからダメなのか。
 となると、この番組は、結局、バラエティーじゃん!となってしまうね。まぁ、作っている方が「バラエティー押し」をしているのなら、否定はしません。

 そもそも何で24時間にこだわるのかな?
 例えば「4時間特番×7日」じゃいけないのかな?
 この日はドラマ、この日は音楽・・・・じゃダメなの?
 「24時間」視聴者は観なくてはいけないんだろうか。観ている人はいるんだろうか。制作側は「24時間観てもらう」ことを考えて作っているんだろうか。生放送だと編集の手間が減るからやりやすいのかな。
 「続けることに意味がある」として「やらないと観てくれない」のか。

 テレビの力ってそんなもの?

 いい番組であれば、変な小細工はせずに見せてほしい。

 「一歩先の支援」をしてみると、見えなかったものが見えてくる。人によっては「一歩」がどの方向を向いているかは分からないが、もしかすると、本当に見たかったものは「先」にあるのかもしれない。

 好き勝手に書いてしまってすみません。


 あっ、マラソンはなしね。誰が得をしてるか分からない。

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