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Twitterをやめました

辞めるに至った理由

①自分のツイートに自信がなくなった。
②他人の目を引こうとするようなツイートをすることに対して、自分への嫌悪感がでてきた。
③他人のツイートを見ていく中で、自分の経験不足や視野の狭さに気付かされた。
④攻撃的なツイートやコメントを見る機会が多くなり「何でこんな炎上するようなことをツイートするんだろう」と考えていくうちに、やはりその人に直接会って話を聞いてみたい、その人のことを理解してみたいと思うようになった。
⑤推しの情報を見れば見るほど、会えないことに対する虚しさだけが増していく。
⑥なんでTwitterをしているのか、自分に問いかける必要を感じた。
⑦毎日、投稿することについての違和感が出てきた。また、継続的に投稿できないことで忘れられてしまうのではないか、という不安が出てきた。

どんな気持ちで向き合えばいいのか?

 「なんでもいいから」と中途半端な気持ちで向き合うと、noteでもTwitterでもフォロアーさんに申しわけないと思っています。
 いざ「表現」となると、何を発信するのか、何を受けとるのか、というコミュニケーションと同じようなことが言える。自分が関心のあることだけを見る、ことはしたくない。知識や世界が狭くなってしまう。
 では、関心のないことはそのままにしていいのか、というわけではないですね。関心がないことは、自分が逃げている、気にしたくないことであり、本当に大事なことがそこに含まれているのかもしれないですね。
 ただ、noteでもTwitterでも、投稿の数は数えきれない。だから、自分で抱えきれるだけしか知ることができない。多くのフォロアーさんがいるとそこだけをみてしまうが、それ以上のフォロアーさんを見れなくなってしまう。 

 では、「役に立つ」投稿とは何だろうか。
 人によっての基準が違うし、相手がどんな思いでTwitterやnoteに向かっているかも分からない。
  楽しいこと、新しいことを発見したいのか
  自分の思いをみんなに伝えたいだけなのか
  何となく眺めているだけなのか、
  近況確認をしたいのか、
  情報をすぐに入手したいのか

 また、魅力的なフォロアーさんがいた時に、Twitterのなかだけでは分からないから、実際に会いたいと思ってしまう。ただ、実際に会ったとしても、相手からは、ただの「フォロアーの1人」であり、誰だか分からないから、面倒くさい人と思われているかもしれない、と考えてしまう。
 直接、会えないからこそ、伝わりにくいことがある。そこを補おうと、書いているけれど、伝えきれないもどかしさ。

  Twitterの中と外の人間関係をどこまで信じていいのか、
  一方向の思いだけを押し付けているのではないか、
  たくさんのフォロアーさんがいることが「人から必要とされていること」何だろうか、
  日々、起こっていることを投稿することが、自分をさらけ出していることに恐怖を感じないのだろうか、

 そう。相手を想像することで自分も想像力が豊かになる。

 でも、投稿をみると「無理をした」内容も時々見かける。そうならないようには、自分も気をつけているはずだけど「こんな投稿したら、どんな反応があるんだろう」と気になって、ちょっと大げさに書いてしまう。
 自分の言葉で本当に「つぶやくように」書いている文章と、「見せるために」書いている文章は、見ている人は見分けているかもしれない。 

最後に

 他人から見ると「そんなことを言っても、ほとぼりが冷めたら、また再開するんじゃないの?」と思われていると思います。

 正直に言います。

その通りです!!

 ただ、どのように関わるのかは迷っています。完全に鍵垢にして「見る専門」にした方がいいような気もしてます。他のSNSに切り替えて情報を得ようとするかもしれません。

 再開するにしても「いつからか」は未定ですし、ずっと再開しないままかもしれません。
 自分が、きちんとした方向性や目標ができたら、始めるかもしれません。 

 短い文章だからいいのか、長くすればいいのか、と言われると何とも言えない。本人の思いがどれだけ込められているのかを、受けとめられれば、長さは関係ないよね。

 そして、Twitterを辞めたからと言っても、知りたい情報を得ることができないということではないです。情報を得る方法が増えることは自分にとっては、良いことだよね。

 情報の海に
 プカプカ浮かんでいるのか、泳いでいくのか、 
流されてしまうのか、沈んでしまうのか、
 は自分次第です。

 書くこと、伝えることについて、Twitterとnoteのことも考えながら、勝手気ままに書きました。

 今後とも宜しくお願い致します。

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