支援の輪
支援をする中では、様々な専門職と出会い、生活支援が進んでいくことがあります。業種も、地域も違う中では「新しい視点」が見えてきます。
「こういう時にはここに連絡すればよかったんだ!」
「その時にはこうすればいいのではないか?」
様々な意見が交わせたり、困った時に相談できたりするので、僕も何度も助けられています。
でも、良いネットワークもあれば、逆もあります。
関係機関を調べまくって、つながっていくはずが、急にプツンと切れてしまうことも、こちらの不手際や連絡ミスで嫌われてしまったこともありました。
こんなことは書きたくないけど、ネットワークを築いてしまったから、とんでもないことに巻き込まれることも有りうる。相手からしたら支援体制を整えたいから、連絡先を交換しただけなのに、やりたくもないのに講演会や講義をしてくれと言われて、頼まれたからにはちゃんとはやるけど、その後は、嫌われて二度と連絡が取れなくなる。
また、僕の知らないところで、相談員(ケアマネジャー)抜きで会議が行われ、何故か支援の内容が決定してしまったこともある。
支援体制をしっかりするためには「まとめ役」というのも必要。それぞれが自分勝手に進めてしまうと、置いていかれたり、戸惑うのは本人と家族。逆に、消極的すぎると、何も決まらないこともある。
僕自身はまとめ役が苦手なので、本人や関係者から見れば頼りなかったと思います。
ところで、福祉のつながりは、良くも悪くも不思議なもので、どこかでつながっている。例えば、相談を受けた子供の親が同級生だったり、相談の利用者のヘルパーが近所のおばさんだったり、電話をした病院の相談員が大学の同期だったり。
やり易いか、やりにくいかといえば、僕はやりにくい。お互いに知っていることもあるし、個人情報のことで少し慎重にはなります。
また、利用者とのつながりも出てきます。ネットワークを築くきっかけにもなるし、別の利用者につなぐことにもなってくる。つながることで利用者のできることが分かることもある。利用者がお互いに助け合うこともありえる。利用者が別の利用者のネットワークの一員にだってなりうる。
ここで、無視してはいけないと思うのは、支援を受ける前から続いている「利用者自身のネットワーク」です。このネットワークは、利用者が自ら動いて、作ってきたものでもあるし、支援者の知らないこと気付かせてくれる。福祉のことを知らなくても、本人の協力者としては心強い。
「何も知らないくせに」と思ってはいけない。専門職が集まっているはずなのに「本人がひとりぼっち」な状況を、第三者の視点で本人を助けていることをお忘れなく。専門職だけでは支援はできない。
少し見方を変えて、利用者はネットワークを築くことをどう思っているのか、考えてみました。
もしかしたら、余計なお世話かもしれない・・・。
以前のように、一人で生活していた方が良かったと思っているかもしれない。
せっかく信頼できる「一人の」相談員と出会ったのに、次々と支援員、関係者、担当者という人が増えてくる。
もう誰が何をしてくれるのか整理できないかもしれない。だから、相談員さんに連絡したのに「それは○○の担当だから」と言われてしまう。また、ちゃんと説明したはずなのに、別の担当者に再び説明しなければならない。
ネットワークが築けている=連携がしっかりしている
・・・と言いたいのに言えない。それぞれの専門職が責任をもってやっている事なのに、なぜかちぐはぐしていることもある。
輪の素材が、鎖ではいけないし、ビニールテープでもいけないし、棘があってもいけない。
丁度いい強度と、長さと、太さが必要。
輪の大きさも数も形も様々で、大きいから良いというわけでもない。
1つでいけないということもない。
輪は重なっているかもしれない、離れているかもしれない。
楕円形かもしれない。
途切れてはいけないのかというと、そうでもないと思う。途切れてしまう原因によっては、途切れたほうがいいのかも、と思ってしまう。たとえば、複雑に絡み合って修復不可能になってしまったり、他者に攻撃するような関係になっていたり、する。また新たな「輪」を作ればいいじゃないか。1か所切れてしまっただけで、バラバラになるような関係ではないんだから。バラバラになってしまうのなら、それはいわゆる「価値観の不一致」「方向性の違い」だと思う。
最後に、支援の輪が広がることで、本人の安心にもつながり、本人が「社会の一員だよ」「一人ではない」と思ってくれると、支援していて良かったと思えます。
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