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喪失と再生を不思議な味わい深いトーンで描いた映画『林檎とポラロイド』

U-NEXTの配信で鑑賞した『林檎とポラロイド』
全くのノーチェック作品。

記憶喪失を引き起こす奇病がまん延する世界を描いたSFヒューマンドラマ

ストーリー
バスの中で目覚めた男は、記憶を失っていた。覚えているのはリンゴが好きなことだけ。男は治療のため、回復プログラム“新しい自分”に参加することに。毎日リンゴを食べ、さまざまなミッションをこなし、新たな経験をポラロイドに記録していくのだが…。

U-NEXT作品紹介テキストより

たったこれだけの情報で観始めた。

シンプルで洗練された感じの町並み、登場人物達のモノトーンを基調にした衣装、そうした全体の印象から「デンマークとかスウェーデンの北欧作品かな?」と観終わるまで思っていたら、なんとギリシャの監督の作品。
主役の男性もギリシャの役者さんのようで、ギリシャ・ポーランド・スロベニアの合作だけど実質ギリシャ映画といっていいのだろうか。

確かに作品上の世界観はSF設定である。
次々と"記憶喪失を発症する"人々が出てきて、病院らしく施設へ収容されていく。
なにしろ外出先で突然記憶喪失になるので、身分証明書を持っていない場合は「身元不詳」として施設で世話をするしかないのだ。
家族が探しているような場合は、家族に連れられて帰宅することが出来る。(とは言っても本人は全く家族については認識出来ない)

しかし、主人公のように誰も向かいに来ない人の場合は、「回復プログラム」を受ける前提で住む部屋と日々の当座のお金、外出用の衣服一式を支給されて自立することが出来る。
うむ、まるで社会主義国家のようだ。

少し丈の短いジーンズとセーター、モノトーンの上着というシンプルな服装で「テープレコーダから指示されるミッション」を遂行するために規則正しく外出する主人公。

ミッションは様々だ。
自転車の曲乗り(何故曲乗りなの?)、ホラー映画を観る、車の運転をして遠出する、ディスコへ行って酒を飲みダンスするなど、
短い期間で人生で経験したであろうことを強制的に追体験させるプログラムを実行していき、新しい人生を作り直すというものらしい。
そして、その証(あかし)として、これも支給されるポラロイドカメラで写真を撮ってアルバムに収めていく。

主人公がミッションを重ねていくと、同じようなファッションに身を包み、同じようにポラロイドカメラで自撮りをする人々に出会う。
そうした中で知り合った女性と何度かミッションを付き合ううちに、ある夜
酒場でダンスをしていると彼女にトイレに誘われて身体を重ねることになる。

しかし、後日主人公が新しいミッションを聴くためにテープを再生すると
「ダンスの上手いパートナーを見つけて、トイレに誘いセックスをしろ、一夜限りでいい」
というものだった。
そういうことだったのか、とショックを受ける主人公はその日から彼女を避けるようにするが。。。

***

この作品はSFではなく、単にSF設定での世界観で語られる喪失と再生の話なんだと解釈した。

映画は最初、ドスン、ドスン、という音で始まる。
何の音かと思っているとカメラがパンして、部屋の壁に頭を打ち付けている主人公が映される。
ソファに座りラジオで「国立神経病院記憶障害科の"新しい自分"プログラム」のアナウンスが流れてくる。
身支度をして外に出かけると、車の運転中に記憶喪失を発症したため事故を起こしたと思しき男性が道端に座り込んでいるのを見かける。
そして、花屋で花束を買った主人公がどこかへ出掛けるシーンから夜のバス車内で寝入る主人公。
バス運転手に終点だと告げられた主人公は記憶喪失になっている。

明白には語られないが、主人公は記憶喪失を偽って、これまでの生活を捨てて新しい自分になりたかったのだろう。
"新しい自分"プログラムを続けることで、過去の記憶を封じこめ新しい記憶で埋めていこうとするが、プログラムで指示された偽りの関係は自分には無理だと思い始める。

それから主人公にとって最後となるミッションを実行する。
「病院へ行き、余命わずかな病人を探して一緒に過ごせ、毎日見舞って元気づけろ。求められれば力になり、亡くなったら葬儀に行き別れを告げろ。
そして親族と過ごすのだ」

そして、余命わずかな老人と出会い、夜中にスープを作って見舞いに行く主人公。
ある晩、老人に「結婚はしているのか?」と尋ねられ、
「結婚はしていた、妻は亡くなった」
とやっと現実に向き合い答える主人公だった。
その時、老人から甘いもの、手作りの焼き菓子が食べたいと所望され、翌日持っていくことを約束する。
翌日、彼女からの葬儀参列への同行の誘いを断り、チョコレートのかかった焼き菓子を作って見舞いに行くが、老人はすでに亡くなっていた。
墓地での葬儀を遠くから眺め涙を流す主人公。

主人公は本当は記憶喪失していないのでは?というヒントはそれまでもいくつか描かれてきていた。
・好物の林檎を買いに行った時、店主にどこに越して来たんだ?と尋ねられた時に番地を言い間違えるシーン。おそらく無条件で昔の番地を答えたのだろう。
・外出先の公園で、以前住んでいたアパートで飼われていた顔見知りの犬を見かけて犬の名前"マルー"と呼びかける。しかい、遅れて来る飼い主には見つからないようにすぐにその場を立ち去る。
・いつも林檎を買う顔なじみになっていた店主から「林檎は記憶の喪失を低下させる効果があるから」と聞き、突然林檎を買うのを止める主人公。
彼にとっては過去の記憶はむしろ早く喪失して欲しいものだからだ。

主人公が記憶喪失者になりたかった理由、"新しい自分"になりたかった理由は最後に明かされた。
妻を亡くした喪失感に耐えられずに、"新しい自分"プログラムの話を聴き自発的に行方不明者になったのだろう。
冒頭の花束はいつも主人公が妻の墓参りにささげていたものだった。

記憶喪失者であることを止めて、過去に向き合って生きていくことを決めた主人公はまず妻の墓参りへ行く。
それから元住んでいた部屋へ戻り、部屋を片付け、窓を開け放ち、
ふたたび林檎を手にとって食べ始めるのだった。
今度こそ、妻との思い出を忘れないように。

監督のクリストス・ニクのオリジナル脚本で初監督作品という本作ですが、登場人物も少なくて、セリフも少ない(主人公はほとんど喋りません)とても静かな作品ですが、その設定のユニークさと誰にでも共感出来る普遍的なテーマの組み合わせが絶妙なとても味合い深い作品でした。
次の作品も楽しみな作家と出会えることが出来ました。

<了>

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