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さよならロードバイク、思春期の長男と過ごした想い出をありがとう

ロードバイクを売却した。

ここしばらくはずっと玄関に設置したバイクラックに鎮座したっきりだった。
屋内で保管していたので痛みも少なく、オイルをさしてやれば直ぐにでも乗れそうだったけれど、誰か他の人にちゃんと乗ってもらえるのならそうした方がいいかもね、ということで近所に出店した中古自転車屋に買い取ってもらうことになった。

どちらもキャノンデールの同じモデルの色違いで、下の赤いのが長男のバイク、上のブラック・グリーンが僕のバイクだ。

2015年の夏の終わり、高校受験を控えた長男がロードバイクに乗ってみたいと言うので近所のプロショップに見に行ったのがはじまり。

小学校を卒業して地元の公立中学校に入学したものの、学校システムに上手く馴染めなかった彼は入学早々色々と悶着を起こしたり問題を抱えていた。
3年に上がって少し自分を取り戻してきた彼が自分からやりたいことを見つけたらしいことが嬉しかった。

高校受験まであと半年というところだったので、通常の親であれば「高校に入学してから」と諭すところだろうが、30を過ぎてからの初子という贔屓目もあり、むしろ怪我さえ無ければ受験にもプラスなんじゃないかと相方と相談してロードバイクを買ってあげることにした。

ショップへの何度目かの訪問でこのモデルに決めるという日、僕もロードバイクを購入して長男と一緒にツーリングに出掛けるのもいいアイデアなんじゃないかと一緒に購入することに決めた。

昭和生まれの僕の子供時代はサイクリングブームで、まだロードバイクという言葉も一般的ではなく(言葉自体なかったのかな?)、ドロップハンドルの自転車という呼び方をしていた。
今でも自転車屋に行けば売っているが、小学生向けの最初の自転車のような位置付けで仮面ライダーのキャラクターが入ったスポーツバイク風のものがあったが、そんな自転車が大流行していた頃だ。

自転車の荷台を改造してキャンプ用品を載せて日本全国を一周する人も多くいたし、子供向けのそうした物語もあって一生懸命読んだ記憶がある。
小学校高学年の頃の将来の夢という作文のお題には
「ぼくは将来、サイクリニストになって世界一周をします」
なんてことを書いた記憶もある。

そんな少年時代だったので、心のどこかにずっとロードバイクに対する憧れがあったが、ツール・ド・フランスなどの中継を見ていて
「あれはかなり本格的だぞ」
という意識があったので手が出せず、大人になってからクロスバイクを購入して走るのが精一杯だった。

そんな感じだったので、
「長男と一緒にロードバイクを買って始める」
という思い付きに「これはもう今しかないな」ということで、同じモデルの色違いを購入することをその場で即決した。
「あ、やっぱりお父さんもご一緒ですね!」
とショップの人に言われたのを覚えている。
長男に付いて来店するたびに、僕も物欲しそうな顔をしていたのかもしれない。

それから、長男と一緒にロードバイクのメンテナンス方法を勉強したり、すぐに身体にフィットするサイクルウェアも買い、休みになると荒川や利根川のサイクリングロードを一緒に走った。

ちょうどその年の秋に熊谷で埼玉サイクリングフェスティバル2015というのも開催されるというので2人でエントリーした。
流石に熊谷の会場まで自走するというほど乗りこなせていなかったので、朝5時起きで車載して会場まで行った。
ファンライド39kmコースにエントリーして、とにかく初めてのサイクルイベントだったし、こんなに沢山の自転車乗りが一斉に集まった様子を見ることもはじめてだったし、自分達もその一員として走るというのに少なからず興奮した。
途中何箇所もある休憩所では、地元のグルメが無料で振る舞われて、途中でお腹いっぱいになったり。

途中で僕のバイクのチェーンが切れてしまうアクシデントがあり、小雨も降ってきて気温も下がってきた中で、さてどうやるんだったけな?とまごまごしていると、それまでYoutubeの動画なんかで予習が万全だった長男がものすごく手際よくチェーン交換する姿を見て、なんだかもう一人前に逞しくなったなぁと心強かったこともよく覚えている。

39kmという距離はロードバイクだとたいした長距離でもないのだけど、なにしろ朝から夕方までずっと自転車の上で過ごすというのも初めての経験だし、無事に怪我もなくゴールした時はほっと安堵と軽い疲労感があった。
ゴール間際で主催者が用意した業者が写真を撮ってくれたけれど、その時に写真は今でも玄関に飾ってある。

その後も、冬の寒い雨の日は外を走れないのでトレーニングのためにと三本ローラーまで買ったりして、相当入れ込んでたと思う。

年が明けて、無事に公立高校に入学した長男ともしばらくは近場を一緒に走っていたけれど、体力も充実してきた彼は近所では飽き足らず、荒川サイクリングロード経由で東京スカイツリーまで行ったり、奥多摩まで脚を伸ばしたり、輪行して電車で遠出をしたりと1人でツーリングすることが多くなってきた。

そこまでの遠出は億劫な僕は相変わらず近場のサイクリングロードを土日の早朝から2-3時間走って帰ってくるということしたりと、それぞれ別々に走ることがほとんどになっていった。

そして、大学受験を控えた高3になるとロードバイクへ乗ることもすっかり少なくなり、現役で大学へ進学した彼は一時は最寄り駅までの通学にロードバイクを使っていたが、それも2020年からコロナ禍になり通学もすることなく、ロードバイクもそのまま放置されることになった。

かたや僕も1人で土日の午前中だけ同じところばかり走っていることに飽きてきて、バイクを購入したショップでも初心者向けのツーリングイベントを毎週開催していたけれど、なんだかエントリーして参加するのも躊躇しているうちに、仕事が忙しくなり、コロナ禍もやってきて、同じくロードバイクからは少し遠ざかってしまっていた。

それから4年。
すっかり玄関のバイクラックとロードバイクがお荷物になってきた頃、
「もう乗らないでしょ?8年超えて防犯登録も切れたし、そろそろ手放そう。近所に出来た中古のバイク屋で引き取ってくれるみたいだから査定に出してもいいか?」
そう長男から提案して、少し寂しい気持ちもあったがそうしよう、ということにした。

「また乗りたくなったら程度のいい中古を買えばいいじゃない」
普段からガジェットをヤフオクやメルカリで買ったり売ったりを頻繁にしている長男はあまりモノに執着するということがないので、こういう時はある意味助かる。
どうしても僕は一度お迎えしたモノを手放すことが出来ないタイプで、楽器も部屋で埋もれているのだけど。

ロードバイク2台を査定に出す日、長男は2台ともきれいに掃除してくれた。
バイクラックと三本ローラー、まだほとんど傷んでいない冬用のサイクルウェア、ビンディングシューズなんかもまとめて引き取ってもらった。
ハードオフの安く買い叩かれるイメージよりは、ずっと高額で引き取ってもらうことが出来て、
きっと一部のパーツは交換されて、新古品のようになった彼らはまた新しいオーナーさんに乗ってもらえるのだろうと思うと手放して良かったなと思う。

そして、思春期の難しい時期をロードバイクという趣味を長男と一緒に楽しむことが出来たおかげで、いくつもいい思い出が作れた、それだけで十分。お釣りが出るほどの価値があったんじゃないか、そう思っています。

<了>


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