『オットーという男』〜あともう少しという演出もあったが、それでも愛すべき一作の映画
トム・ハンクス主演の最新作『オットーという男』を観たので、感想を簡単にnoteしておきます。
まずは基本情報
2022年製作/126分/G/アメリカ
原題:A Man Called Otto
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
監督 :マーク・フォースター
脚本 :デヴィッド・マギー
製作 :リタ・ウィルソン
製作 :トム・ハンクス
原作 :フレドリック・バックマン
キャスト
オットー :トム・ハンクス
マリソル :マリアナ・トレビーニョ
トミー :マヌエル・ガルシア・ルルフォ
ソーニャ :レイチェル・ケラー
若き日のオットー :トルーマン・ハンクス
一言でどんな映画?って言うと
「観終わってほんわかと温かくなる、観てよかったなと思える映画」
でした。
細かいことを言えば色々とツッコミどころはあるのですが。
まず126分は長いかなぁ。
100分くらいでもう少し切り詰めると「後味のよい小品」という感じになったんだけど。
あと、オットーの若い頃を演じる役者さん(トルーマン・ハンクス)、トム・ハンクスの息子さんらしいですが、あまり似ていないんですよね。
別に似ていなくてもいいんですが、キャラクタも全然違う雰囲気で。
これが初出演?らしいですが、演技のせいなのか、脚本がそうなのか分からないですが、
最初に出てきた時に、あまりに似ていないので一瞬「これは若い頃の回想シーンじゃないんだろう」と思ってしまうほど。
あとね、事前の宣伝文句などが、ちょっと違うんじゃないかなぁ、と思った。
例えば、以下は公式ページのあらすじの抜粋ですが、
カバーにもお借りした宣伝イメージにも「町内イチの嫌われ者」とか書かれていますが、
「全然嫌われてなくね?」
と思った。
確かに、あれこれとにかく口うるさいし、自分が正解だと思ったら店の店員にもガンガン詰めるし、
「まぁこういう堅物のおじさん、何処にでもいるよな」
という感じの人。
若い頃から几帳面でルーティンを大事にする人、規則に厳しく間違ったことは許せない、それが歳を重ねて強固になっちゃった人。
でも、昔からオットーのことをよく知っている町内の人からは嫌われていないみたいに描かれていたし、
あきらかに奥さんが亡くなってしまってから、生きがいを失って、周りにも冷たく当たるというか、どうなってもいいや、って感じになっただけだし、
みんなそれは分かっていたんだと思う。
まぁ、職場の退職セレモニーは悪意を持って描かれていたけれど、あれは合併した会社からやってきた新しい年若の管理者がオットーを疎ましく思っていただけだし、
ホームセンターのレジでの騒動は、あぁ自分も同じような事やりそう、と思ったし。
そんなにオットーがとんでもない奴だとは思わなかった。
まぁツンデレだな、くらい。
物語は、向かいに越してきたメキシコ人の一家が来てから、オットーが心を開いて、また周囲に目を向けるまでの話。
向かいの奥さんマリソルも、おそらく最初からオットーはそんなに悪い人間じゃないと本能的に察知したから、あれやこれやと気にかけてくれたんだと思う。
メキシコ人というキャラクタがどういう設定かは分からないけれど、
「ちょっ距離感近すぎん?」
とは思ったけれど。
だけど、悪意のないああいう近所付き合いは、そうしたものがすっかり希薄になってしまった現在から見ると、疎ましくさ半分、憧れ半分はあるかなぁ。
やっぱり何かあった時にご近所にどんな人が住んでいて、どんな人なのかって知っているのと知らないとでは、大違いなんですよね。
それはもう、明らかにご近所さんと顔見知りであることの方が、トータルでは良いに決まっている。
でね、映画は(おそらく町内のみんなは知っている)
「オットーは本当はどういう人間なのか?どうしてそのオットーがこんな偏屈なじいさんになってしまったのか?」
ということを、若い頃からの回想シーンを通して観客にも見せてくれるのだけれど、それはオットーが奥さんがいない世界に生きがいを失い自死しようと試みる時に見る「走馬灯」でもある。
で、この回想シーンが奥さんとの出会いからなのだけれど、そのほとんどがオットーがまだ20代くらいの想い出だけで、
「え、何?奥さんもう何十年も前に亡くなってしまったの?」
と思ってしまうくらいで。
実際は奥さんは数ヶ月前に亡くなったので、回想シーンでの時代からも40年以上は奥さんとの2人で暮らした想い出があるはずで、
それが全く描かれないことに違和感がある。
いくら若い頃に奥さんに出会って恋に落ちて暮らし始めた時のことが強烈だったとしても、その後何十年もの長きに渡る生活が枯れたものだったのならが、奥さんが亡くなったとしてもそこまで喪失感はないはずで、
きっと、長きに渡ってよい関係を築けたからこそ、
「彼女は私の全てだ」
と言うほどの喪失感を味わっているんだと思う。
であれば、回想シーンにはもっと年を重ねてからの2人の暮らしも見せてくれないと、観客にはちょっと物足りない、というか寄り添いにくい。
そうした演出から邪推すると、この映画はまず
「自分の息子を映画出演させること」
が目的の企画だったんじゃない?
だから、回想シーンは息子で全部撮ろう、とかになったんじゃないか?
と思ってしまった。
これは明らかに演出上の失敗だと思ったなぁ。
もっと2人での暮らしのオットーに感情移入することが出来れば、ラストシーンの感動はもっと深いものになったのに残念だな。
実は予告編を観た時に
「これはきっと号泣モノかもしれない、だから映画館では止めておこう」
と思ったくらい。
だけど、そんな理由で、そこまで「泣き」に入ることは出来なかったんですよね。
とかなんとか、苦言をいくつか書きましたが、それでもやっぱりこの映画は「愛すべき良い映画」であったことは事実。
オットーの周囲に集まる人々もみんないい人達ばかりで、
特に主演女優と言ってもいいような位置づけの向かいの奥さんマルソルは、とても素晴らしいキャラクターでした。
最後はある意味でハッピーエンドだったし、
「オットー良かったね」と言えるそんな素晴らしい一本。
周りの人には優しく、機嫌よくしているた方が良いよね、
絶対に回り回って自分のところにも帰ってくるから。
そんなことを思わせてくれました。
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