見出し画像

映画『対峙』 〜救いは憎しみではなく赦しこそ〜

観るのが辛い映画でした。
本当に。

特に僕のような子供の親にとっては、実に辛い。

やっと配信で観れたのですが、公開前に予告編を見た時は、雰囲気的にスウェーデンとかのヨーロッパ映画かなと思っていました。
ノルウェー映画でも銃による大量殺人事件を扱った映画『ウトヤ島、7月22日』とかありましたし。
でも、よくよく題材を考えたらやっぱりこの手の事件が多いのはアメリカなんですよね。

で、この映画はアメリカ映画です。
割と有名な役者さんも出演しています。

原題の『MASS』ですがその意味は、
カトリック教会でのミサというのがまず一つ。
そして今作の背景の事件となった「銃乱射事件=Mass Shooting」を示唆するダブルミーニングだということのようです。

対して付けられた邦題が『対峙』
原題が意味するものはどちらも我々日本に住む人間にはピンと来ないものなので、全く違うこんなタイトルをよく考えたなと思いました。

ただし映画を一見したルックはまさに『対峙』なのですが、映画を観終わってからもう一度考えてみると果たしてこのタイトルでよかったのかな?という思いもよぎります。

実際にあった学生による銃乱射事件の加害者の親と被害者の親が事件後数年経って直接会って話をする。
被害者の両親はどうしてこの事件が起きたのか、何故自分たちの息子だけが射殺されなければいけなかったのか。
その理由を知りたい、加害者の親からは具体的な謝罪の言葉が欲しい。
そんな想いでまさに『対峙』する訳ですが、
被害者の親もファイティングポーズだけで面談に臨んでいる訳ではなく、
彼らも当時のことを思い返すことになり、特に母親は面談当日の朝、会場付近に来ても本当に加害者の親に会うべきか逡巡します。
会って何を言えばいいのか。ちゃんと何かを伝えられるのか、と。

一方の加害者の親も同じような想いを事件についてはずっと抱えています。
犯人の少年も自死しているからです。
息子を亡くした親という事では同じです。
むしろ加害者の親でもあるという事で、さらに深刻かもしれないです。

もしも、自分がこの立場だったらと考えると本当にどう対応してよいのか。

111分の本編で、ほとんどの時間は2組の両親が教会の小部屋で面談するシーンに割かれます。

最初は遠慮がちにお互いを探るような会話から、やがて本心をぶつけ合うようになり、被害者側と加害者側が、その立場が一方通行ではなく何度も入れ替わる様が、言葉のやりとり、目線、表情、動作で描かれます。
本当にとてもよく出来た脚本だと思います。

彼らの対話のシーン中、何度か映される景色があります。

鉄条網に囲まれた原っぱ、
鉄条網に結びつけられたオレンジ?ピンク?のリボン

被害者の父親が教会に入る前に車を停めてじっと見つめていた景色なのですが、何を意味するのかよく分かりませんでした。

会話の中で、事件の後現場を訪れた両親が、被害者側だけでなく、加害者側の両親も公にはされなかったようですが密かに訪れていた、そんなセリフがありました。
その時に銃撃の現場となった教室?で両親が見たのが、
人型(ヒトガタ)を記したテープ。
被害者の少年とおそらく加害者の少年の人型もあったのかもしれません。

ひょっとして、その時のテープを重ねて見ていたのだろうか、そんな風に後から思い至りました。

会うべきだろうかと逡巡していた被害者側の母親も、自分の息子が起こした罪の深さに傷つき、息子への愛情さえ否定されるのかと苦しんでいた加害者側の母親の想いを知り、最後は赦すことを選択します。
そして、何もしないよりは会ってお互いの想いを伝える事で救われた、そんなニュアンスで終わります。

もちろん、そんな簡単に事件の痛みが消え去る訳ではないでしょうが、加害者本人ではなく同じ息子を亡くした親としては憎むにも憎みきれない、そんな想いもあったのでしょう。
実際、人を憎み続けて生きる事はとてもしんどいですしそれで救われる事はないでしょうから。

「憎しみではなく赦し」

多分に宗教的それもキリスト教的な感じはありますが、子を想う親の気持ちとしては万国共通だろうと思いました。

〈了〉

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?