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僕の映画館の思い出

子供の頃はまだ映画産業が町の暮らしに根付いていた時代で、当時住んでいたのは大阪府下の小さな私鉄沿線駅だったけど、それでも近所の商店街には東映の映画館があった。
春休み、夏休み、冬休み、長い休みには「東映まんがまつり」という子供向けのタイトルを何本かまとめて上映するイベントが開催され、映画館が僕たちの子供の遊び場になった。
まんがまつりのお決まりはマジンガーZなどのロボットメカ物、またアニメ映画だけじゃなくて、超人バロム・1やキカイダーなどの変身ヒーロー実写物も男の子達には大人気だった。
また、隣の駅前(といっても歩いても10分かからない)には、東宝や大映の映画を上映する映画館もあった。ここではガメラの映画をよく観に行った。個人的には、ゴジラよりも大映のガメラ映画の方が好きだった。

中学生になったばかりの頃、近所に住んでいた叔父(父の弟)が「映画を観に行くか?」と連れて行ってくれたのは、トラック野郎シリーズ。
何故か知らない女性も一緒だった。あとで知ったのだが、叔父と結婚することになる女性との初デートに1人で行くのが恥ずかしかったので、甥っ子の僕を連れて行ったらしい。
それにしても初デートに観に行く映画がトラック野郎で、しかも中学生の甥っ子を連れていくなんて叔父も相当に困った人だ。
帰りに甘党屋でかき氷をおごってもらった記憶があるので、おそらく1976年夏公開のシリーズ三作目「トラック野郎 望郷一番星」だったんじゃないかと思う。同時上映が倉田保昭のカンフー映画だった記憶があるので、間違いないと思う。
中学生にはちょっとドギついエロシーンもあったけど、菅原文太と愛川欽也コンビのやり取りと人情噺は子供にも分かりやすくて、少し大人になったような気分だった。

中学3年生の時にクラスの女の子と初デートで行ったのも映画館だ。
先日もケネス・ブラナーでリメイクされていたナイル殺人事件の1978年版だった。今から思えば、こちらも初めてのデートで行く映画ではないなと思う。センスのなさは血筋なのか。

大学受験を控えた高校3年の正月、流石に友人と初詣に行くのも憚られ、することがなくて1人で梅田の繁華街まで出て「フェーム」を観に行った。
これがはじめて1人で映画館に行った時だと思う。
ニューヨークの音楽学校が舞台の青春映画で、主役のアイリーン・キャラが歌う主題歌が大ヒットしていた。
とても現役で合格出来る見込みのなかった僕にはキラキラして眩しい映画で、現実に戻りたくない僕は、2回連続で観た。
(昔の映画館は入れ替え制ではなく、1回チケットを買って入場すると、好きなだけずっといることが出来た)

大学生の頃、当時道頓堀にあった映画館によく行った。
今のJRAウインズ道頓堀がある辺りじゃなかったかと思う。
サークルの友人が何人かその映画館でバイトをしていたので、誰かがオールナイトのシフトの時に、よく皆で遊びに行った。
オールナイトの深夜上映の時間帯は、社員はおらずバイトだけになるので、事務所でお茶を飲みながら馬鹿話をして、交代でバイトとは関係のない僕らもチケットのもぎりを手伝ったり(といっても、一晩にたまに酔客が来るだけなのだけど)、明け方の最終上映後の館内掃除を手伝ったりした。
ここではほとんど観客として映画は観なかったけど、僕らの遊び場の1つだった。

いつからだろうか、国内の映画産業の仕組みが変わったのか、町の映画館は次々と閉館し、シネコンが幅を効かせるようになった。
チケットも基本入れ替え制の指定制になり、昔の映画館と比べてお高い場所になったというか、日常感が薄れたというか、そういう感じの場所になった気がする。
「よーし、今日は映画を観るぞ!」と少しだけ気負っていくような場所になった。
「今日は寝不足で少しゆっくり寝たいので、映画館でも行くかぁ」なんてことには使いにくい場所になって少し残念だ。

それでも、チケットを買って、ポップコーンとドリンクを売店で買って、館内の明かりが暗くなると、そこから2時間だけは日常の色んなことを忘れてスクリーンの中で繰り広げられる世界に没入出来る。色んな夢を見せてくれる場所としての映画館はまだそこにある。
ネット配信で映画を観ることが通常になってきても、それでも月に1回は映画館に映画を観に行く、そんな余裕は持ち続けていきたい。

#映画館の思い出

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