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普通の顔をしたアバンギャルドな映画 『関心領域』

『関心領域』
『落下の解剖学』と似た路線の邦題だな、と思った。
(奇しくもどちらの映画もザンドラ・ヒュラーだ!)
一見=一聴しただけだと何だかよく分からない捉えどころのないタイトル。

「関心領域」という単語そのものが普段聞き慣れないものだし、
「関心」と「領域」というそれぞれ独立した単語をくっつけて新しい単語を作ったような感じだったから。

そういえば、映画で話されるドイツ語もそういう言語だったな。
ありものの単語を次から次へとくっつけて長ったらしい名詞を作ってしまう。
大学の第2外国語でドイツ語を習った時に教わった。

原題は『The Zone of Interest.』
うん、こちらの方がピンと来るな。
そして、この原題はナチス親衛隊がアウシュビッツ周辺のエリアをそう呼んでいた言葉らしい。

などと映画とは直接関係のない回り道をダラダラとしているが、
それは一にも二にもこの映画があまりにも前衛的でアバンギャルドだったから、今の僕には語る言葉がほとんどないから。

冒頭からカマしてくる。
真っ暗なスクリーンに不穏としかいいようのない旋律。
調整をあえて外したアンサンブルが大音量で流れる。
それも結構長い時間。

だんだんと不安になってくる。
おい、大丈夫か?
そう思っていると、サウンド(あえて音楽とは言わない)がフェードアウトして、鳥のさえずりに変わっていく。
そして、青い空と草むらの緑がまぶしい明るい画面に変わる。
川べりの草っぱらで遊んでいる家族を遠目から映す。

何となくどんな話なのかはもちろん事前に知っていた。

「アウシュビッツ強制収容所と壁一枚隔てた屋敷に住む収容所の所長とその家族の暮らしを描いていく」

だけど、映画で描かれる話は基本的には本当にそれだけだった。

収容所所長の妻(ザンドラ・ヒュラー)が子供時代から憧れていた念願のマイホーム、広い庭に野菜を育てて、植樹と花壇、プールでは子供が遊べる。
休みの日は車で川べりでピクニック。
たまに水遊びもしたり。

そんな、何でもない普通の割と裕福なドイツ人家族の生活がただただ描かれる。
(実は、全く何でもないことはないし、普通でもないのだけど)

そんな情景を表すのに「とても静かな生活が」と表現したいところだけど、
これが全然静かではない。
終始遠くでざわざわと音がしている。
人の叫び声、銃声、そしてずっと低く鳴り響く(焼却炉の)ゴォーという音
そんな音が背景から途切れず流れている。

そんな中で収容所所長一家は普通のふりをして暮らしている。

そう、どうやら所長は「普通のふり」をしているらしいことが段々と分かってくる。
そして、小さい方の子供(おそらく4-5才くらい?)も外では様子がおかしなことが起きているらしきことに子供心に気づいているようだ。

娘の暮らしを見にはるばる訪ねてきた所長の妻の母親は、昼間に庭にいるとずっと聴こえてくるよからぬ音、きっと人を焼く匂いもすごかったんではないか、夜になると窓の外で赤く燃える焼却炉の炎、
そうした「普通ではない物事」に耐えられずに、一晩だけですぐに帰ってしまう。

本当に「普通の暮らし、夢だった暮らし」を堪能しているのは所長の妻だけだ、きっと。
彼女は壁の向こうの収容所で行われていることは関心外なので、全く意に介さない。
それが例え夫が仕事と称してやっていることだとしても。

収容所に連れて来られたユダヤ人達から毛皮や洋服、ありとあらゆる私物を剥ぎ取って、その「戦利品」を使用人として使っている同じくユダヤ人に持って来させて、
同じ使用人の女性達に「1枚だけ持って行っていいわ」と分け与え、
自分は毛皮のコートと使いさしの口紅をもらう。

だから、隣の収容所で何が行われているのか知らない訳はないのだが、
「私の関心事はこの暮らしを守ること」
そう思った瞬間に他のことには目が入らなくなる。

見ていて吐き気を催すほどに彼らヒトラー配下の戦時中のドイツ人が憎らしく思うが、これが現実なのかもしれない。

今もこの国では、時の権力者たちが自分たちの利益、既得権益をどうやって守るかそれだけに執心していて、自分たちの本来の役目、そして一番に考えるべき国民については「関心外」だということを毎日嫌と言うほど見せつけられているではないか。

映画の最後の方で一瞬だけ現在の歴史記念館になっているアウシュビッツ収容所跡のシーンになるところがある。
そこでは、収容所で殺されたユダヤ人達が脱ぎ捨てた大量の靴などが展示されている。
そして、そうした虐殺された跡を目の前に何気ない顔で掃除をする清掃担当係の女性たち。

彼女達にとっても、数十年前にこの場で起きた虐殺行為は過去のことであり、例えそれが目の前にあったとしてもいったん「関心外」になってしまえば、気にもとめなくなる。

そんな人間の恐ろしい習性をこれでもかと見せつけられる105分。

BGMは突如流れる不穏なサウンド以外はほとんどない。
収容所からかすかに聴こえる音たちがこの映画のBGMだ。

途中、画面が真っ赤になり不穏な音楽ともいえないものが流れる場面がある。
冒頭の真っ暗なシーンと同じ演出だが、これはスクリーンは真っ赤に染まっている。
これも結構長い尺だ。これはいったいなんだ?
アウシュビッツの虐殺を模しているのだろうか。
そして、この真っ暗になる演出はエンドクレジットでもう1度出てくる。

そして、もう1つ謎のシーンが、赤外線カメラで写したような夜間のシーン。
少女が布袋から何かを撒いている。
このシーンが唐突に都合2回(いや3回?)出てくる。
彼女はどこに何を撒いているのか、簡単に分かるようには描かれない。
が、どうやらアウシュビッツ収容所内に闇に紛れて忍び込み、食物を届けているのか?と思わなくもない。
しかし、どうしてこういう赤外線カメラ視点なのだろう。

こうした1つ1つが何から何まで前衛的。
普通の顔をしているがその実はアヴァンギャルド。

映画を観終わって自宅まで帰る道すがら、映画のことを思い返しているとふとアピチャッポン・ウィーラセタクン『MEMORIA メモリア』のことを思い出した。
どこか共通点があるような気がした。
あの映画も普通の顔をしてとてつもなく前衛的でアバンギャルドな映画だった。

監督のジョナサン・グレイザー。
とんでもなくヤバい奴かもしれない。
次の映画が楽しみな監督がまた1人出来た。

<了>

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