祖父と原発~2011年3月11日~

私の父方の祖父は某電力会社で役職に就き、原子力発電所の建設に向けて土地の買収に向けて交渉を進めた人物でした。(有名人ではないです)

「大変だったけど、原発ができた時は本当に嬉しかった」

と笑顔でよく言っていましたし、実際に私の地元、ひいては日本の未来に大きな成果を残すことができたと誇りに思っていたようでした。

そこそこ収入もあり、バブル崩壊の煽りをくらいはしたものの、我が家はある程度豊かでした。実際、家族を旅行に連れていってくれたり、かなり高いレストランに連れていってくれたり、たくさんお小遣いをくれました。子どもや孫たちに財産を残し、大学にも出してやり、自分の仕事に誇りをもち、趣味で余生を楽しむという充実した老後を送っていました。

それが変わったのが、2011年3月11日でした。

東日本大震災、特に福島原発の事故後、反(脱)原発思想の高まりがありました。様々な場所で未来のエネルギーともてはやされた原発が全国で悪魔の如く扱われ、東京電力の社員とその家族が世間から強く非難、中傷されたことがニュースになりました。

そして、ニュースなどで反原発を聞かない日はなくなりました。そのニュースを祖父はボーっとみていました。

時折テレビを見て「俺、原発を作るのにがんばったんだけどな・・・」とポツリと言うことがありましたが、大抵祖母が「昔はともかく、今はそういうのが評価される時代じゃないのよ」と言い、それを聞いて寂しそうにしていました。その後ろ姿を今でも覚えています。

私からみて、過去の自信に満ちた祖父はどこへやら、祖父は魂が抜けてしまったように見えました。そして、祖父は持病の悪化もあり、それから4年ほどして病院で亡くなりました。

最期は「家に帰りたい、帰してくれ」とベッドの上で高熱にうなされた後この世を去りました。

あの自信に満ちた祖父の最期とは思えませんでした。


ちなみに、私自身、原発思想について、私に「反原発」思想を語る資格なし、と思っています。

なぜかというと「私(やその家族)自身が原発マネーによって豊かな生活を送ってきた」こと

そしてもう一つ、「祖父の寂しそうな背中を忘れることができないから」です。

東日本大震災以前、日本全体が「未来の夢のエネルギー」として原発をもてはやしていた時代があったと思います。祖父も日本の「未来の夢のエネルギー」を信じていたようでした。

しかし、あの震災、その後の社会が祖父の誇りも思い出も、信じていたものも、全てをもっていってしまったようでした。

私は社会福祉士です。個人から社会全体の福祉、よりよい未来のために活動する責務があります。今は自分の生活を維持するだけで精一杯の一介の介護職ですが、いつか社会を脅かすリスクのあるものや動きと戦う時ももしかしたら来るかもしれません。

しかし、今「社会を脅かすもの」として取り扱れているものを、「正しいもの」として昔から信じていた人々がいるということも忘れてはならないと思います。他人から見れば、祖父は「原発思想に洗脳され、哀れにも時代や社会に裏切られた人」なのかもしれません。

ところで、読者の方の中には、自分より年上の人と相対するとき、非合理的、非理性的と思われるような思想を感じることもあるかもしれません。

「なぜこんな非合理的な、時代遅れ(で危ない)考えを頑迷に信じるのか・・・」と思うこともあると思います。

実際のところ、人は「信じていたものが全部無駄だった」「自分の苦労の意味はなかった、それどころか害だった」という現実を目の前にしたら、合理性などあっさり捨ててしまうのではないでしょうか。仮に合理性を取ったところで、祖父のような誇りを奪われた抜け殻ができあがるだけではないでしょうか

「合理的」という言葉は、その時代を生きる人に対し、時に冷徹な現実を突きつけるもの、その道筋以外の道(とその道を歩む人)を無駄と切り捨てるものだと思います。

100%合理的な考え方で生きれるほど、人は強くない

社会福祉士は時に法的な知識や理論など論理をもって社会の不条理と戦います。しかし、時に「(その時代の)合理性」やによって切り捨てられた人(の弱さ)と相対できる柔らかさが必要と思います。

祖父の背中が、そう教えてくれた気がします。




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