不安障害を持つ夫のためにできた、たった一つのこと。
夫は長年、不安障害に苦しみました。幸い今はほとんど寛解していますが、それでも気候や疲労などによって時に調子を崩し、症状が出ることもあります。
そんな夫が自分のことをnoteに書きました。
そもそも、夫がこのような記事を書けるようになるとも思っていませんでした。書くことは思い出すこと。過去のドロドロとした記憶やトラウマに蓋をしながらずっと生きてきたわけなので、その蓋を少しでも開けるのは危険。妻としても心配でした。
本人も最初はやはり少ししんどそうでした。当時のことを思い出すのでしょう。
「無理して書かなくてもいいんじゃない?」
それでも夫は、書きたい気持ちが強かったみたい。
とうとう書き上げました。
そして、「すっきりした」と一言。
自分でも考えを整理できた様子。
その姿を見て思ったことがあります。
「みんなそれぞれ、自分のプロセスを経て回復に向かうんだ」
そんな夫のためにできた、たった一つのこと、それは「ただ寄り添うこと」だったのです。
「ただ寄り添う」ことに気づくまでの道のり
「ただ寄り添う」
もちろん初めからそうできたわけではありません。
ヒントを教えてくれたのはこの本。
この本については、私の自己紹介記事でも触れています。
症状は確かに苦しい。それを何とか取り除いてあげたい。そして「良く」なって欲しい、そう願うのは自然なこと。でも著者はこのように説明しています。
これは私についても同じことが言えました。
「夫のどこがおかしいんだろう?」
「どうしてこんなふうに感じるんだろう?」
「夫が良くなるにはどうしたらいいんだろう?」
今思えば、こんなことばかり考えていたように思います。そして夫のことに干渉しすぎていたのです。でもそれはかえって夫の不安を増幅させ、ますます悪くなるという結果を招いてしまいました。
病気と闘うのをやめる
この本の中で著者は、「病気と闘うのをやめる」ように勧めています。
考えてみれば至極当然のことです。疲れたら休む、ただそれだけのことだったのです。家族が焦ってあれこれ騒ぎ立てていては、本人も安心して休めないのです。
闘うなら、闘争ホルモンである「アドレナリン」が分泌されます。これでは確かに症状は良くなるはずはないですね。「治そう」と頑張りすぎてはいけないのです。
「否認」から「受容」へ
当初はどうしても「否認」の気持ちがあったように思います。苦しそうな夫を目の前にすると、どうしても「なんとかしてあげたい」ってなるのです。
でもそういう焦りや動揺の気持ちって、夫にも伝染してしまうんですよね。
「夫をなんとかしてあげなければ」
これはかえって夫を不安にさせてしまったようです。私に必要だったのは現状の夫をただ受け入れることだったのです。
「鬱々する」
「時に言葉や態度がトゲトゲする」
このような夫を目の前にするのは確かに悲しく、受け入れ難かった。
でもこれは、夫の性格ではなく、病気の症状。そのことに気づいたら、夫を許せました。
これを私に当てはめていうならば、「夫が感じている症状をあるがままに感じてもらう、そのことを夫に許す」ということです。
このことに気づいて以来、夫の話にもよく耳を傾ける心の余裕が生まれました。そして否定したり、あれこれアドバイスしたりという、余計なことはしないようにも心がけました。
そうしているうち、夫の側にも変化が見え始めました。前よりもっと自分の症状のことや気持ちを話してくれるようになったのです。嬉しくなりました。これがまさに「受容」の効果なんですね。
「ただ寄り添う」ことの効果
受容ができるようになると、寄り添うことは自然にできるようになりました。「向き合って対峙する」のではなく、「椅子を並べて横にそっと座る」イメージ。
そうした気持ちは夫にも伝わるのでしょう。自然と笑顔も増えました。夫にとって私は「敵」ではなく「味方」になったのでしょう。そして「安心」につながった。
今でも時々調子の悪い時があり、症状が出ることもあります。その度に自分に言い聞かせていることがあります。
「ジタバタしない」
「また始まった。。けど、また回復するよ」
「疲れが出ちゃったんだね。休めばいいよ」
でも突き放すのではなく、やはり「隣に寄り添う」。手を握って「味方」をアピール。そうしているうち、いつの間にか不安の嵐は過ぎ去っているのです。
病気は外部の誰かが必死で治すものではなく、本人なりのプロセスを経て治るものであり、そのプロセスを誰も邪魔してはいけないのです。
「ただ寄り添う」
簡単なようで意外と難しい。でもこの効果は本当に絶大。本当の「敵」は病気ではなく、それに対処しようとする「それぞれの心」の中にいるのかもしれません。
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