見出し画像

はじめまして、物書きバンドマンの澁澤まことです

最初の記事になるべきもの

2023年7月26日。まだ呼び慣れない「X」にて、私はこんなツイートをした。

NOMAでご縁をいただいて、前日から東京国際フォーラムで開催されていたWeb3のカンファレンス「WebX」に参加したところ、これは是非ともレポートせねばという使命感を抱いたのだ。
私的なレポートや参加記の公開先といえばやはりnote。「何か書いてみたらどうか」と提案をいただく度に「どうせ書くなら小説がいい」と逃げてひたすら無言で読み続けていた私も、ようやくスーパーヘビー級の腰を上げる意志を固めたのである。

しかしレポートをまとめながら気づいた。私が突然WebXの記事を更新したところで読者の感想は一つだろうということに。

「熱く語るのは良いが、そもそもお前は誰なんだ」

……あまり自分のことを語るのは好きではないのだが、一種の礼儀だと割り切って最初の記事は自己紹介にしておこうと思う。

「はじめまして、澁澤まことです」

自分はいったい何者であるのか。それは哲学においては「〈私〉の問題」という意識の超難問になってくるのであろうが、社交の場においては単純にして明確な、「問題」以前の「話題」だ。

人は自己認識や思想ではなく、今まで何をやってきたかで定義される

軽薄とも言えるが、少なくとも自分から相手に提示する時には有意義な発想と言えよう。何しろ実績は嘘をつかない。特に公にしている活動であれば、第三者がその真偽を保証してくれるのだから。

そこで私の主な活動を簡単に列挙するとこうなる。
尚、澁澤まことというキャラクターは900歳越えの後期高齢者故に、各時期の年代と年齢の記憶がない。事項のみにてご容赦願いたい。

  • バンドのヴォーカリストとして活動を開始

  • ソロに転向

  • ライターを始める

  • 翻訳を少し齧る(現在は受付停止)

  • 史学研究の世界へ

  • 他アーティストに歌詞を提供するようになる

  • 曲も提供するようになる

  • ポエトリーリーディング、朗読劇等のパフォーマンスに手を出す

  • メタルバンド「Alchemy Crystal」加入

  • クラシックの声楽を始める

  • メタルバンド「Dark Planet second」加入

  • Web小説に目覚める

  • 声劇や朗読の配信、ナレーション等も始める

  • 完結した小説が漫画原作に

  • 国際映画制作スタジオ「NOMA」加入

おそらく多くの方が序盤で読むのを放棄されたことと思う。そして(有り難いことに)全て読んでくださった方もその感想はあまり変わるものではなさそうだ。
よく言えば幅広く、悪く言えば不安定。何がやりたいのかさっぱりわからない。推測の結果浮かび上がるキャラクターは「器用貧乏」とか「自分探しを繰り返す人」といったところだろうか。否定はしまい。

だがこれらの活動、実は私としては明確な意志と法則性をもって展開しているのである。

二つの柱

私には二つの柱がある。「音」と「物語」だ。

読む音

まず音。これは至極単純な話で、私は五感の中で聴覚にもっとも安らぎを求めているという本能的な欲求ゆえ。視力は両目0.03、敏感肌の触覚はノイズが多く、アレルギー体質で嗅覚は波があり、小食でお酒も弱い……となれば残る聴覚に異常な執着をもってしまったのも必然かもしれない。
「好きなものを求める」、ただそれだけの理由なので語ることはあまりないが、「好き」とはクリエイティブなエネルギーの根幹を成すものだ。避けることはできない以上、意識して取り込むほかなかった。

ちなみにここでいう「音」は音楽のみを指すものではない。言葉もまた音。声で発する言葉はもちろん、文字を読むとき頭の中で響く声や、キーボードのタイプ音も意識を支配する。言葉を紡ぐという一点において言えば、私にとっては読書や執筆も「音」の活動なのである。

聞く物語

もう一つは「物語」。こちらは逆に、時を重ねるほどに重みを増していった。幼少期から本の虫だったので物語に親しんでいたが、次第に興味の幅を広げていくにつれ、あらゆるものに物語があることに気づいたからだ。
音楽であれば、純粋な音だけでなく歌詞の方向性やアーティストの美学を「聞いて」いる。『Let It Be』はその背景なくしてここまで多くの人に親しまれただろうか? 服ですらもどんな思想で作られた服をどんな場所に合わせるかを楽しんで「着て」いる。Yohji YamatomoやCOMME des GARCONSに袖を通すなら、黒の衝撃以来の反骨精神を纏う愉しみを見出していないか? 更に言えば、故郷の名産品を口にする時、世界に一本しかないワインをグラスに注ぐ時、果たして我々はそれを純粋に食べものや飲み物として認識しているか?
意図して作られたものであろうとなかろうと、人はモノの後ろに常に物語の存在を察知し、そちらを消費している……そう意識してしまったが最後、今度は物語を追うことがやめられなくなってしまった。表層の物語と深層の物語、どちらにたいする興味も尽きない。
となれば、自身で物語を創り上げるという行為への憧憬が生まれたこともまた、必然だ。

物語を追い求めて

私の心をとらえて離さない物語は、必ずしも完成しているわけではない。わかりやすい例が歴史研究である。
多くの人が、歴史を物語と表現する。しかしそれは歴史家や歴史作家が描いた物語ではなく、記録に残るか否かにかかわらずその時代を生きた人すべてが持っていた物語だ。ヒュームは自我の存在を知覚の束と表現したが、歴史はそんな知覚の束の束だと私は考えている。多元的で矛盾を内包し、本来一貫性のない歴史に対して論理的一貫性を求めるのは危険であろう。
だからこそ私は個人の物語に目を向けたい。権力者たちの動かす政局や富裕層の生み出す文化にも興味はあるものの、それらは必ず誰かが丁寧に記す。力を持たず記録に残ることもない多数、そして彼らが繋いでいった混沌の薄闇が、歴史という大きな物語の束へ変貌していく様の方が気になるのである。

ちなみに私がソロで出したアルバムのタイトルは「記されえぬ個人の悲劇に纏わる小品集」。当時は悲劇にばかり目が向いていた。今は記されえぬ喜劇も描きたいと思っている。

物書きバンドマンという枕詞

……想定していた以上にとりとめのない話になってしまった。
要するに私はクリエイターとして行動する上で、この二つの柱に立脚していさえすれば、さほど手段を重視していないのである。音を愛し、物語を描く。届けたい音があり、響かせたい物語がある。ただそれだけ。

とはいえ、自己紹介のたびにこんな長話はしていられないので、概括的に表す枕詞を付けることにした。それが「物書きバンドマン」だ。
物書きはともかく、何故バンドマンという語を選んだのかといえば、これも二つ意味がある。ひとつはイメージの問題で、「歌手」というと曲を書かなさそうで「シンガーソングライター」では弾き語りをしていそうなので、バンドマンがもっともバランスが良かったこと。もうひとつは、執筆活動を中心に据えるうえで、音楽はバンドだけにしておこうという決意である。

神は知ることではなく

最後に、私が活動する上で大切にしていることを付す。
それは「やるからには徹底して調べる」ことと「調べたからには徹底してやる」ことだ。

私の人生を変えた言葉にこんな言葉がある。

Non enim nos Deus ista scire sed tantummod uti voluit.
(神はそれらのことを知ることを欲しておられたのではなくて、それを用いることを欲しておられたのである)

ルソー著、前川貞次郎訳『学問芸術論』岩波書店、一九六八年。

学ぶだけでは足らない。生かさねば学びは死ぬのだ。
浅学非才にして未熟な私だが、形式は問わなくても形にすることにだけはこだわっていきたいと思っている。全っっっ然できてないんだけどね!!

……ご清聴ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。


最後に宣伝

8月24日に漫画原作を担当した『塔の医学録~悪魔に仕えたメイドの記~』第1巻が発売予定です。現在予約受付中ですので、ご興味をお持ちいただけた方は是非お手に取っていただけたら嬉しいです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?