見出し画像

あの日の自分に伝えたいこと〜雪の降る高速道路〜

本格的に療育がスタートしてから2ヶ月。
2月下旬の寒い日。
おりしも、その日は私の誕生日だった。

2ヶ月長距離ドライブを続けてきた息子は、だんだんそのことに慣れてきていた。
慣れてきたことと、興味が外に広がったこと、そのふたつは決して悪いことではない。
しかし、車の中で落ち着きなく動き出すようになった息子に、私は困り果てていた。

1週間前、息子と買い物に出かけた時のこと。
息子はチャイルドシートを外すということを覚えてしまった。
外して自由になった体で、車の床に寝そべる、立ち上がる、極めつけは車のドアノブを内側からかちゃかちゃといじくる。

その行為は母親の私にとって、恐怖でしかなかった。
チャイルドロックがかかっていたからよかったようなものの、もしロックがかかっていなかったら....。
私は血の気が引いた。
息子はそれから、出かけるたびにチャイルドシートを外し、同じ行為を繰り返すようになっていった。

そうしているうちにも、療育センターへ行く日が近づいてきた。
困り果てた私は、センターの言語聴覚士さんへ電話を入れた。
そして今の状況を伝えて、どうしたらいいかを相談した。

「困ったねぇ。
とにかく外さないように頑丈にする方法を考えることかな。
あとは、いろんなものを吊って、チャイルドシートに乗っていても退屈しないようにすることかな。。。」

どれももっともなアドバイスだった。
でもどれも、本当に安全にセンターまで到着できるという確証に至る方法ではない。

「とにかくいろいろと考えて、試してみます」

私はそう言って電話を切った。
先生は、無理してまで来なくてもいい、とは言わなかった。
でも、なんとしてでも来なさい、とも言わなかった。

それからの数日、私は百均をめぐっていろいろなものを用意した。
まず、フックを買って、助手席の後ろにおもちゃをいくつもぶら下げた。
それらのおもちゃはゴムで引っ張れるようにして、腕を伸ばしたら息子がそれらを手にとって遊べるようにした。
それから音楽。
たくさんの童謡を車で聴けるように準備した。
私自身も、チャイルドロックは毎回必ず確認してから運転するように習慣づけた。

肝心のチャイルドシートは、たとえ息子がひとりで外してしまったとしても降りられないように、シートの帯同士を縛るようにした。
そして極め付けは、縄跳びのひも。
息子のおなか周りから縄跳びをぐるっと回して息子をシートに固定するようにした。

かなりがんばったと思う。
かなりがんばって万全の策を立てたのだけれど、私はセンターに行く当日、とても緊張していた。


そんなに不安なら誰かに付き添ってもらえばよかったのにと思うかもしれないが、私はそうしなかった。
こんなに頻繁に向かう長距離ドライブに、毎回付いてきて欲しいとは、誰にも、申し訳なくて言えなかった。
そして何より、この先も続くこの問題は、逃げ腰にならずに、きちんと向き合って解決しておかないと、と思っていた。
今の自分たちにとってセンターに通うことは一番大切なことだったから、それはどうしたって続けていきたかった。

雪のちらつく寒い朝だった。
万全の準備をして出発した私たち。
その日初めてお披露目したたくさんのおもちゃも音楽もそれなりに効果はあった。
しかし。
30分も立たないうちに、息子は見事にバリケードを破ってしまった。

震える足で高速の路肩に車を止め、再度チャイルドシートを紐でぐるぐるに結び、さらに息子の体にもう一度縄跳びを巻いた。
ビュンビュン耳元をよぎる猛スピードの車の音。
私の膝はガクガク震えた。
ここまで来てしまった。
もう後には引き返せない。
私はチャイルドロックを確認して、また車を走らせた。

しかし程なくして、息子はまたバリケードを破った。
私はまた路肩に車を止めた。

さっきと同じような手順でもう一度息子をチャイルドシートに座らせた。
そして今度は、予備に持ってきていた縄跳びをあと2本、息子の体に巻きつけた。
知らない人が見たら、虐待にしか見えなかっただろう。
雪の降り方が強くなっていた。
私の手も、緊張と不安で紫色になっていた。

ようやく頑丈に頑丈に縄跳びを結んだ後、私は息子の目をしっかり見てこう言った。

「コウちゃん、どんなことがあっても行くよ。
だから、外さないで!」

その言葉がどれだけ息子に通じていたのかはわからない。
でもその後、私たちはなんとか無事センターまでたどり着けたのである。

その日は、教室の終わりに、それぞれのママが自分の感想を述べる時間があった。

「わたし今日誕生日なんです。33歳の。
息子がチャイルドシート外してしまうようになって、ここまで来るのがすごくすごく不安だったけど、なんとか来れました。
いい誕生日になりました」

私がそう言ったのを聞いて作業療法士の先生がこう言った。

「お母さん、本当にこわかったでしょう。
本当によくがんばりました」

「根性あるなー」と他のママさんが言って、パチパチパチパチと拍手が起こった。
はーっ。しかしよくやったなあと思った。

帰り道もハラハラ息子をバックミラー越しに見ながら運転していた。
しかし程なくして、息子は眠ってしまった。
朝からの長い攻防戦にすっかり疲れてしまったらしかった。

私は肩の力が抜けた。
車を停めて、缶コーヒーを買って飲んだ。
本当に本当にホッとした。

「これでまた、センターに通える」

私は不安をなんとか自信に変えた。
泣けた。

あの頃の自分は、どこまでも必死だったなと思う。
無鉄砲だったし、がむしゃらすぎて、そばから見たら痛いくらいだったはずだ。
でも、あの時はそうするしかなかった。
どんなに辛くても、痛くても、先に進むしかなかった。

今、叶うなら、あの頃の自分に会いに行きたい。
会って、傷だらけの戦士みたいな自分をぎゅーっと抱きしめて、頭を撫でて、そして伝えたい。

”大丈夫だから。
これからたーくさん光がさしてくるから。
心配しすぎないで。
今は、目の前のかわいいコウちゃんとの時間を、どうか楽しんで”

noteを書くようになって、昔の記憶を思い出したり、写真を眺めたりすることが増えた。
今振り返ると、こどもたちは本当に本当にかわいかった。
あんなにかわいかったのに、私は心配ばかり、がんばるばかりだった。

もしこれを読んでくださっている若いママがいたら、どうか「今」を楽しんでください。
目の前のかわいいお子さんとの時間を。
そして、がんばっている自分のことも、どうかたくさんかわいがってあげてください。


画像1

その日帰ってから私が食べたのは、ミルフィーユでしたϵ( 'Θ' )϶


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?