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心とからだのつながり

息子がてんかんを起こすようになり、わりと常にどこか張り詰めている。
犬が、寝ていても物音でピクンと耳を立て、ぱっと目を醒ます、あの感じに似ている。

いつでもどこかで息子の様子を探っている。
大きな物音がしたらすぐに駆けつける。
仕事中もアップルウォッチをいつも身に付けていて、学校から、放課後デイサービスからのどんな連絡も逃さないようにしている。

休んでいるようで、いない。
そんな状態が続いている。

そんなある日、また息子が大発作を起こした。

目をしばしばさせ、ぎこちない首の動きが始まり、固まった手の動きが追加されて…そんなところでこの頃はだいたい発作に気がついて、私はさっと息子の体を支える。
気道を確保するために、横向きに寝かせて様子を見る。
息子の指に器具をはめて血中の酸素飽和度を測る。

もうすっかり冷静にやれるようになった。

でも。

やっぱりとても辛い。
親として、その様子を見ているのは、とても辛い。

今回の発作も、息子は必死で発作と戦っていた。
自分の中に怪物を飼っているみたいだった。
暴れ回る怪物を落ち着かせようとして、必死で耐えている、そんな風に見えた。
自分の意思とは全く関係なく激しく動く頭を床に思い切りぶつけないように、私は慌ててクッションを首に挟み込んだ。

ただただ、おさまるのを待つ。
親としてできることは、それだけ。

息子はガクガクと大きく動いた後、次は硬直した状態で瞬きも呼吸もしなくなる。
そこからようやく意識を取り戻すまでまだしばらく。
今回の発作の最中、私は泣いていた。無意識に。
泣いていたことに気がついたのは、頬が知らない間にぬれていたからだ。

多分発作の流れがだんだんわかってきて冷静に状況観察ができるようになった分、その日の息子の様子は余計に目に焼きついたのだと思う。
発作から数日、私は沈んだ気持ちだった。

そんな中、息子の作業療法の訓練の日を迎えた。
息子の通っている放課後デイサービスでここ数年個別に療育を受けさせてもらっていて、作業療法の先生が毎回体の使い方、力の抜き方を息子と私に伝え続けてくれている。
簡単にできて、でもとても役に立つことを教えてもらえるので、毎回楽しみにしている。

でも、楽しみなはずのその日も、私はまだ気持ちがしゃんとしていなくて、気がつくと常に息子の発作の時の様子を思い出していた。
そして急に昔のことも思い出すようになっていた。

息子がお腹にいた頃のこと。
これまで何度も何度も繰り返した嫌な思考。

なんということのないことの数々だけれど(中には大きなこともあったけれど)、もしかして妊娠中の私の行いが息子の発達に影響したのではないか、という思考。
こんな風に産んじゃってごめんね、コウちゃん、という母親としての自分を責める思考。

そうなってくると、もう私は居ても立っても居られない。
急に酸素ボンベなしで海の底まで沈められたみたいな気持ちになる。
真っ暗でよりどころもなくて、苦しくて、どうしていいかわからなくて、もがく。

ああどうしよう、まただ。
もうすっかりそんなところは超えたと思っていたのに。

実際そんな想いを持つことは息子が大きくなってからは全くなくなっていた。
息子は息子なりにきちんと成長したし、私も息子のおかげでいろんなことを学んだ。
Life is beautiful!
そんな風に思えることだって、少しずつ増えてきていた。

でも。
あの辛そうな息子の様子が脳裏によぎると、私には、なすすべがなかった。

「お母さん、大丈夫ですか。
コウちゃんまた大きな発作があったって聞いたから、心配していたんですけど。
確かにコウちゃんの体も力が入って辛そうなんですけど…お母さん、呼吸辛くないですか。
すごく肩が上がっていて、コウちゃんより、今日はお母さんが心配です」

作業療法の先生が会うなり私にそう言った。
そして、私の肩や頭や首の手入れをしてくださった。

急に深い息ができて、視界がひらけたみたいになった。

「あ、楽になりました」

私がそう伝えると、先生はまだしばらく私のケアをしてくださった。
先生が私の体を一瞬見てそこまで感じ取ってくださったことに驚き、そしてまた自分の体の素直な反応にも驚いていた。

帰り道、先生に触れてもらって楽になった途端「つかれ」と書かれたボトルの蓋が開いて、中からドロドロのエキスが出てきたみたいに脱力が始まった。
自分の疲れに気がついてしまった。

''ああ、こりゃダメだ"

私は急きょ、整体のN先生に連絡を入れた。
ほんの時々、どうしてもという時にお世話になるN先生。
時間外の最終で受け付けてくださった。

暖かいヨサに入り、たくさん汗をかいた。
薄ぼんやりした黄色いあかりと滴る汗にただただぼーっとした。
呼び鈴を鳴らすと常温のまろやかなミネラルウォーターとプルーンエキスを持ってきてくださった。

「いつでも呼んでくださいね」

そう言って部屋を出て行って、また1人にしてくれた。
静かな静かな時間。
知らないうちに汗と一緒に涙もまたたくさん出た。

それからN先生の整体を受けた。
呼吸に合わせてゆっくり、でも体の中にエネルギーを充填させてくれるような力強い施術。
私はいつの間にか眠ってしまっていた。

「今日はぐっすり眠れるといいですね」

先生に促されて目が覚めて立ち上がってみると、肩が下がって、足がどしんと床について、すごく楽になっていた。
私はその夜倒れ込むように眠った。

翌朝目覚めてみると、これまであった、頭と目に血がのぼるような感覚が消えていて「ストン」と立てた。
そしてあの、息苦しい海の中にいる私ではなくなっていた。
すごく楽な気持ちになれていた。

あの日、私をひと目見て「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた作業療法士の先生。
時間外で私を受け入れてくれて、ひたすらケアしてくれたN先生。
私はやっぱりラッキーだと思う。
こんな風に命を吹き込んでもらえるんだから、きっとまたやれる、まだまだやれる。

心とからだって本当に強く結びついているんだなとしみじみ思う。
深くゆったり呼吸ができること、力を抜いて暮らせること。
そんな安定した健全なからだには、やはり健全な精神が宿るんだなぁと感じる。

いつも安らかな私でいたいな。
しみじみそう思う、クリスマスイブでした。

クリスマスの頃になぜかいつも作りたくなる
アーモンド&チョコ&ごまのクッキー
素朴な家庭の味です🙂


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