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『希望らんらん 夢はあふるる』


父は郷里で精肉店を営んでいたものの、戦時末期の物資不足ゆえに店をたたむことを余儀なくされた。幸い仕入れに顔が利いたから、都会へ出て闇市でそれなりの、ときには平時より儲けることができた。

私は幼時、その闇市で下働きをさせられた。歳の離れた兄二人はともに南方で名誉の戦死を遂げていた。

終戦を迎えたのち、蓄財した父は母の待つ郷里へと帰った。いっぽう私は都会に残り小商いを続けた。米軍から流れてきた自動車などの部品を鉄くず屋に流した。しかし父と違って商才を持たない私は、ごく短い特需の時期が終わるとすっかり行き詰った。

カフエーで給仕をしていたところに声をかけ、私と一緒になってみないかと誘った妻にもほとんど、ウマイ飯を食わせてやることができなかった。

あの頃の私は困窮に耐えかねて、どうかしていたと思う。なけなしのカネで酒とヒロポンを求め、やくざものの集う賭博場へ出入りしては、雪だるま式に借金を重ねていった。

自業自得といえばそれまでなのだが、取り立ては我があばら家にも連日押し寄せてきた。私はただひたすら丸くなり殴打に耐えた。妻を連れていかれそうになったときは、歯を折られ耳をちぎられそうになりながら抵抗した。惨状に堪え兼ねた妻は、台所から包丁を持ち出してブスり。

アアとうとう来るところまで来たか。しかし我が妻に罪人のレッテルを貼り付けて仕舞っては日本男児としてあまりにふがいない。私は刺殺の罪を庇わんと、残りのやくざもの二人を我が手でヤッた。

警察の目などはごまかせないもので、挙句妻と私はともにブタ箱に閉じ込められた。便りによれば妻はほどなくして獄中出産をしたという。

服役のあと、私は先に出ているであろう妻の元を訪れることはしなかった。決して私では仕合せにしてやれない。もっと別の人生を歩んでほしい、そういう願いだった。


白波眩しい大海原に さんさん輝く朝日を浴びて 希望に満ちた一日を  さあ今日もまた 仲間と共に手を取り合って 希望らんらん 夢はあふるる 前を向いて駆けてゆこう


もとより文学に興味はあったが、先述の境遇ゆえにそれを育むことはなかった。そんな折、同房に居たとある作曲家との出会いが私の大きな転機だった。

「娑婆へ出たら、俺の曲に詞をつけてくれよ」

その言葉にどれだけ励まされ、どれだけ希望を持ったことか。私は模範囚として勤め上げ、自由時間には作詞の鍛錬を欠かさなかった。

いま私は、僭越ながらも先生と呼ばれる程度に、作詞家を生業としている。ただ獄中で綴った上述の唱歌には、未だメロディがついていない。

私を導いてくれた作曲家の先生は、素行の悪さと体調不良ゆえ刑期が伸びに伸び、そのまま逝去したと聞かされている。













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