健全とは何か(日記)

こんばんは。
最近親しくなった方に会社を経営されている方がいて、その方と話して感じた事を少し書きたいと思います。

先ずは出会いから。
私はコンビニでバイトしています。
そこに来る常連のとてもフレンドリーなおじさんで、いつも気軽に話しかけてくれる人がいます。私からも話しかけるようになり半ば友人のような関係になっていました。

ある時、「このおじさんと麻雀したら楽しそう」という思いから、自分の趣味に誘ってみました。「麻雀できますか?もし出来れば面子(メンツ…メンバーの意)になって貰えませんか?」すると、とても素早く「できるよー!おーいいよー」と言ってパッと鞄から名刺を出して私に渡してくれました。

それを見ると“代表取締役”という文字が。
私は、認知の歪みがあったので人を上下に見る癖があります。この時も「社長か…まさか社長だったか…失礼だったかな…どうしよう…」などという思いがよぎってきました。

けれど直ぐに「ああ私はあの人が上だと感じているんだな、上の人と話すのは怖いんだな」と感じた怖さを受け入れました。

帰宅後、名刺にあった携帯番号を自分の携帯に登録すると、ラインとの連携によって間もなくその方からラインへ連絡がありました。
仕事の出来る人は行動が早いというけれど、さすが早いな…と感じながら少しのやり取りをし、こちらの電話番号も伝えて電話で話すようになりました。

話していくうち、彼はこう言いました。
「俺は“社長”という立場なので誰も俺に物事をハッキリと言ってくれないんだ。裸の王様なんだよ。だからお願いがあるんだけど、俺の相談役になって欲しい」

巷で噂では聞いていました。
“社長は孤独”という言葉。
まさにそうなのだな、と感じた瞬間でした。

だとしたら私に彼が求める事は、馴れ合いでも慰めでも暇つぶし(そもそも暇はなさそうですが)でもなく、助言なのだと思い、なるべく自分の思う事、感じる事を素直に伝えていく事にしました。

「わかりました。いいですよ」と返事をし、次の日直ぐに食事に行く事になりました。

本当のところ最初はかなり緊張していましたが、彼の気さくでありのままの人間性が、私の心も開放してくれるかのようにあっという間に心は軽くなりました。

本当になんの気も遣わないのです。素直になれるのです。自分のありのままを受け入れている人は、他人の事も自由にするというけれど、そうなのかも知れないし、今それを感じられるのは、私自身も自分のありのままを受け入れてきた証拠かもしれないと思いました。

以前の私なら「こうすべきではない」「それを言うべきではない」「普通は〇〇はしない」など、様々な思い込みで自分と他人を縛っていたでしょう。

この方に会って、深い話をする事でとても自分の成長も感じられ、本当に有り難い機会が開かれた事にとても感謝し感動しました。

先ず彼のした事は相手に安心感を持ってもらうことでした。自分の見せられる全てを開示し始めました。携帯、写真、生い立ち、家族。沢山の話をしてくれ、自分がどんな人間で、何者なのかをどんどん話していくのです。いい話も悪い話も。恥も何もなく、ただそう在ったという感じで。

「こうした方が俺を知ってもらえるでしょう?そしてあなたも私が何者かわかった方が安心でしょう?」そんなふうに言っていました。

ひと通り自分の話をしてからは、私の話を聞きたいと言いました。
私は自己開示が苦手な側面がありますが、彼の誠意に応えたい思いから、家族、生い立ち、今の自分の思いや目標、恥ずかしい失敗談などを話しました。

話せば話すほど、今の私の価値観と、彼の価値観はとても似たものだという事がわかってきました。

「お金は、手段であって目的ではない」
「自分の為に行動すること」
「自分の言動の責任は自分にしかない」
「物事には良い悪いよりもただそう在ったという事実があるだけ」

「キミとはとても意気投合した。やっぱり何か感じるものがあった俺の直感は正しかったな」
その様に言ってくださいました。

自分自身の捉え方が世界を作ると言うけれど、私自身が私を信頼し、愛する事が出来てきた今だから、このような方が楽しそうと感じ、話したいと思えたのだと思います。

私には、何が健全というのは未だにわからないけれど、今回感じた事で言うとすれば、自分自身の心になんの引っ掛かりもない心の在り方でいられることが健全というのかもしれません。それはとても、スッキリとしていて、スムーズでとても自然です。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?