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イランで出会った中国人建築家とイラク旅行した話🇮🇷イラン編

今年1番面白い出会いは間違い無く彼だろう。
私達が初めて出会ったのは9月17日だったらしい。もう3ヶ月も前だ。

9月、私はイランを旅していた。最初に訪れた都市は首都テヘラン。
イランは事前にビザが必要だったりクレジットカードが使えなかったり少しハードルの高い国。
それでもワクワクしながら入国した私の気持ちを、イラン男は初日からぶち壊してくれた。
ホテルから少し歩くだけで「チャンチョン」のオンパレード、バイクに乗って道を塞がれたり、中国人女性と歩いているとすれ違いざまにお尻を触ろうとしてきたり。
イスラム圏ではよくある風潮だがここはあまりにも女性蔑視が酷い。中指は何本あっても足りず、精神年齢中学生のイラン男らに日々ブチ切れていた。(リアルタイムのブチ切れエピは過去ツイートご参照ください)
このまま1人旅するにはあまりにも疲れてしまう。誰かと行動しなければ、そう思った。
テヘランではローカルホテルに泊まっていたのでバックパッカーと全く出会わなかった。次の都市イスファハンではバックパッカー向けホステルに泊まろうと決めた。

イスファハンのホステルは沢山の旅行者で溢れていた。いつもの光景にかなり安心したのを覚えている。そしてホステルの半数は中国人だった。”中国人はビザフリー”を肌で感じた。
最初に仲良くなったのは同い年の中国人女性。テヘランで遭ったこと、女性1人旅は不安だと話していると「今夜ここで火鍋するから一緒に食べよう」と誘ってくれた。
彼女と食材を買ってホステルに戻るとそこには7人の中国人。全員で手分けして食材を切ったり準備し始めた。そこに彼も居た。
それが彼との初対面だった。最初の印象は”ちょっと怖い人”。周囲の中国人ともあまり喋らず黙々と作業していた。近寄りがたかった。
大勢で囲む火鍋は楽しかった。大人数なのでその場では彼と大した話もしていない。前の仕事の話とかいつから旅してるとかありきたりな話。
その後鍋のメンバー4人で夜の散歩に出た。1人の中国人女性が「ボディーガードを連れていこう」と言って彼を連れてきた。それまで女性複数人で歩いたことはあっても、男性とイランの夜道を歩いたのは初めてだった。テヘランと比べて圧倒的に声を掛けられない。気持ち悪い視線もぶつけられない。衝撃だった。
イスファハンで有名な地元の人が集まる橋まで歩いた。橋の下では人々がお酒を飲んだり踊ったりしていた。革命後娯楽が制限される中で、リスクを冒しても楽しもうとするイラン人。元来お祭り好きで明るい国民性であることを初めて理解した。しかしテヘランで経験した色々により、彼らと関わるのをまだ怖く思う気持ちもあった。
距離を取りながら眺める私をよそに彼は人混みを掻き分けてどんどん奥に入っていった。楽しそうに動画まで撮り始めている。
すごいなこの人。
そんな彼を見ていたら、彼が急に振り返って
「見て。橋に映る影が綺麗。」と言った。
驚いた。人々が面白くて動画を回しているのかと思ったら、ライトアップされた人間の影を撮っていたのか。
この人変わってる。
そう思った時には自分とは全く別の視点を持つこの人に俄然興味が湧いていた。


翌朝、ホステルで朝食を食べていると彼が隣に座ってきた。
その時初めてお互いの旅の話をした。彼は中国からパキスタン、アフガニスタン、イランと全て陸路で越えてきたこと、この後はイラクに行くことを教えてくれた。彼と話しているとワクワクした。彼の旅は刺激的で面白い。イラクなんて考えてもみない場所だ。連絡先を交換し、その日彼はヤズドに旅立っていった。
この時私は2週間後にアゼルバイジャンに発つ航空券を持っていた。イランの後はコーカサスを巡る予定だったのだ。まさか自分がイラクに行くなんて想像もしていなかった。

その日の夜、友人から連絡が来た。
「ニュース見た?」
調べると、アゼルバイジャンがアルメニアに対して宣戦布告したらしい。戦争待ったなし。ロシアウクライナも終結していないのに何が起こっているんだ・・・。
その頃は戦況がどうなるか分からなかったので、このままアゼルバイジャンに行ってもジョージア、アルメニアへ陸路で抜けられないかもしれないと思った。戦局が悪くなって旅中にその国から出られなくなるとか、そういうのは絶対嫌だ。
アゼルバイジャン、行くのどうしよう。
その時急に彼のことを思い出した。
そうだ、イラクに行くのはどうだろう。
考えるとこの上なくワクワクした。ただイラクに行くとなるとイラン国内の回り方も変えなければならない。全ての予定が変更だ。急に頭が痛くなってきた。

とりあえず彼が向かった都市に私も向かうことにした。バスに乗ったところで彼に連絡してみた。

「ヤズドには着いた?いつイラクに行くの?私予定変更してヤズドに行くことにしたの」
「昨日の夜着いたよ。ヤズドとシーラーズの後1週間以内に国境越える。」
「私もあなたと一緒にイラクに行きたい。でも1週間は少し短いわね。」
「ヤズドに向かってるの?」
「うん今バスの中」
「わかった。またホステルでね。着いたら連絡して。」

余談だがイランでは各都市につき安宿は1つくらいしかないのでバックパッカーは大体そこに集まる。旅行者との再会は容易である。
夜ヤズドに着いて無事宿にも着いた。荷物を置いて休んでいると彼が帰ってきた。「久しぶり」と言われる。なぜか気まずいというか恥ずかしい気持ちになった。
上手く話せないでいると「今からちょっと歩こうか」と言われた。
2人並んで夜の街を歩いた。イスファハンでは複数人で歩いていたので急に2人になるとなぜか緊張した。彼の雰囲気も違う気がする。
前はもっと素っ気ない感じがしたのに2人になると柔らかくて優しい感じがした。
英語の会話かつ緊張すると途端に口数が少なくなる私、この日は何を話したか全く記憶に無い。でもこの日のヤズドの街はキラキラして見えた。
宿に戻ると「明日どうする?」と言われた。
???と思っているとどうやら明日は一緒に観光するらしい。そしてこの日から毎日一緒に行動することとなったのだ。


彼と過ごしたヤズドは面白かった。

彼はいつも人目を気にせず自由に歩いて、何か見つけるとすぐ立ち止まる。
イランでは女1人で歩いているだけでジロジロ見られる。いつも人の視線を気にしてしまう私は、こんな風に自由に歩きたいと思った。
立ち止まる場所も私とは全く違う。路上にガラクタを広げた商人から古い硬貨を探したり、ウィンドキャッチャーの下に立って風を感じたり。硬貨を集めるのは趣味のようで、毎回専用アプリでどの年代の硬貨か調べ楽しんでいた。

9月はイラン人にとって夏休みで、ヤズドの宿にも夏休み中のイラン人がちらほら居た。ある日、中学生の女子2人組に話しかけられた。将来は外国の移民になりたい、英語を話したいと言って外国人の私に話しかけてきてくれた。
彼女たちの将来の話を聞いていると、1人が「大学で建築を学びたい」と言った。
すると「建築はやめとけ」と急に彼が割り込んできた。
「建築家は激務な上に金にならない」と言う。「でもイランの建築は面白い」と言って彼女と話し始めた。
この時初めて彼が建築家だったことを知った。
そういえばこの人、遺跡に行っても街を歩いても、建物から差し込むこの光が綺麗だと言ったりしていた。そうだ彼の視点はいつも建築家だったのだ。その感性が好きだった。全てが繋がった瞬間だった。

私たちはいつも皮肉を言ってふざけ合っていた。彼はよく冗談で「僕はwell-educatedだから」と言っていた。でもあながち間違いではない。
ヤズド最終日、夕日の見えるカフェで旅を始める前のことを話した。
彼は中国でも有名な大学で建築の修士を取った後、不動産会社で4年間社畜していたらしい。社畜に疲れ仕事を辞めた後、中国でホステル経営したり、会社員に戻ってみたり、時々お金を稼ぎながら旅しているらしい。今回は3月から旅を始めたと言う。

私たちは感性は違うが、似ているところもあった。
2人とも映画を観るのが大好きで、彼は特に古い映画を気に入っていた。互いにお気に入りの映画を紹介し合った。
彼のお気に入りはウォン・カーウァイの「華様年華」という作品らしい。ウォン・カーウァイといえば「恋する惑星」が有名だが、私はまだ観たことがない。そう言うと彼が「そういえば君は主人公のフェイ・ウォンに性格が似てる」と言った。彼にどんな風に見られているんだろう、急にその映画が観たくなった。

気づけば4日も一緒に居た。これまで他の旅行者と1日くらいは一緒に行動することはあっても、誰かと4日も常に一緒に居たのは初めてだった。当初は毎日自分の気分に振り回されているような人間が誰かと旅できるのか?と不安で一杯だったが、意外とできる。
彼とは意思決定の過程が似ていた。一緒に居ても苛々することがない。効率が良いと思う方法を選んでくれる。何より隣に居るだけで現地の男性の不躾な視線が格段に減った。なんて快適なんだろう。前より自由に観光できている気がした。

2人で次の都市シーラーズに向かった。
シーラーズの安宿も1つしかないのだが、彼はそこに行くのを嫌がった。中国人の溜まり場らしい。彼は旅中中国人と話すのを極端に嫌がる。
「まだ中国にいる気分になる」とのこと。でも困っている人がいると放っておけない。結局その宿に泊まるのだが、宿の前で英語が話せず困っている中国人を助けていた。こういうところが彼の人間味なのだ。

シーラーズにはイランの有名な詩人hafezの霊廟がある。どうしてもそこに行きたいという彼。理由を聞くと、パキスタンを旅中に彼を助けてくれた青年がhafezの大ファンだと言う。その青年が作った詩をhafezの霊廟前で読み出した時には、この人にこんなにロマンチックな面があるのかと驚いた。

ここには世界遺産のペルセポリスもある。歴史オタクの彼はこのためにイランに来たらしい。歴史オタクなのでペルセポリスの他に4つも行きたい遺跡があると言う。個別にドライバーを雇う他ないが、彼は交渉が苦手だ。というより人とコミュニケーションを取るのが苦手。路上で沢山の名刺を貰ったが誰とも連絡を取りたくないと言う。前職でハードネゴシエイターと呼ばれていた私は、ドライバーの選定、運賃交渉をサクッと終わらせた。こうしてお互い足りない部分を補うように旅していた。

しかし私はその日の帰り、マシュハドに行くバスのチケットを取った。マシュハドはイラン北東に位置する都市。このままイラクに行くならば南下しなければならないのだが、真逆に位置する都市である。どうしてもこの都市に行きたかった私は、イラク行きも諦めきれないまま、彼と別れて一人旅に戻ることにした。

翌日がシーラーズ最後の日となった。一緒に映画館に行ってみた。
映画館は4年ぶりと言う彼。私も東京に住んでいた時よく映画館に行っていた。イランにいるのになぜか懐かしい気持ちになった。
観たい作品は既に終わっていて、謎のコメディ映画しか残っていなかった。コメディは意外と会話重視で、ペルシャ語のため内容は半分くらいしか分からなかった。途中からつまらなくなって気づいたら彼の肩で寝ていた。
映画を観た後シーシャに行った。中東はシーシャが盛んだがイランは特に安くて味も良い。シーシャを吸いながら「今日はイランの中でもお気に入りの1日になった」と言う彼。2人で過ごす最後の日。イランにいるのに日本みたいなデートだなと思い、1人笑ってしまった。

そしてマシュハド行きのバスに乗った。彼に会うのはこれが最後になるかもしれないと思った。イラクに行きたいとは言ったものの、その後私はアゼルバイジャン行きのチケットを持ったままだった。彼はシーラーズを終えれば3日以内に国境に行くと言ったし、私はやはり他の都市に行くのを諦められなかった。
私が他の都市を見て回る間、彼が待っててくれる保証はない。
一緒に過ごした10日間、ずっと悩んでいる私を見て彼は「なんであなたのために待たなきゃいけないの?」と言っていた。
やっぱりこれが最後と思い握手をして別れた。
マシュハド、テヘランを回っている間、彼と連絡を取っていたが、3日経っても彼はまだシーラーズに居た。
国境行くんじゃなかったの?何やってんだこいつ?と思いつつも
「私達、国境沿いの街で会えるかな?」と聞いてみた。
「わからない」

むかつくこの男。待たないと言いつつもこの男の行動は矛盾している。ずっと迷っていた私だったが、この煮え切らない態度に遂にブチ切れた。
結局は自分の旅なのだから自分で決めるしかないのだ。
彼が行くからイラクに行くのではない。
私がイラクに行きたいのだ。
そう決意した私は、1人で国境越えする準備を始めた。

結局この後合流しイラクを旅するのだが、ドタバタ国境越えはまた次回。

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