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人間関係の定義付けと人間関係との付き合い方

私が思うに、人間のストレスの原因は6割人間関係、3割嫉妬、1割自分自身だと思っている(偏見)

私はかなり人間関係にストレスを感じる方だから、ストレスの原因8割人間関係。


現在情報技術の発展により、様々な情報を得られる中、全然いらない情報までも目や耳に入ってくる。また、昔だったら連絡を取らなかったであろう人とも繋がってしまう世界。

またfacebookだInstagramなどのSNSでは、見ず知らずの人と繋がれ、見ず知らずの人に日常生活を覗き見することで、その人のことを知ったような気になれる。


友達の基準て何?知り合いの基準て何?親友の基準て何?仲良しって?


つい最近まで結構基準について考えていた。

結果基準なんてない。(一昨日言っていたことと違う)


その人と出会ったこと、その人と関わったこと、話したことは全て偶然ではなく必然である。


自分にとって必要であったから出会った。

その出会った人たちに基準なんてない。みんな平等であるべき。


まぁ、答えは出ているんだけれども、答えと自分との気持ちのキャパのギャップの間でいきている感じ。


こんな人間関係で悩むようになったのは、きっと中学時代オババ(恩師)に出会ったせいだと思う。また3年5組のメンバーに出会ってしまったせい。

あんな言葉遣い悪くて、人を引っ叩いて、傲慢な先生いないと思う。そして、ズカズカと家庭環境に足を突っ込んでくる友達たちもいないと思う。

けど、あの3年5組に所属していなかったら、あのメンバーに出会えてなかったら、人との関わり方は薄っぺらいものになり、自分善がりで生きていくものになっていたと思う。


人間関係について話そうと思ったけど、また自分が苦しくなった時、自分善がりな人との関わり方をしないように、メモをしておこうと思う。


今やばいなーって思った時に読み返せるように。

薄っぺらい人間関係ほど無意味なものはないから。



1. 目の前にいる人は自分に何か伝えるために召喚された人。


人を見ていたり、関わっていると、多少イライラすることはあると思う。


「なんでそんなことを言うの?」

「なんでそんなことをするの?」


あるよね。うん。あるある。


その瞬間は、すごい苛立ちを覚えると思う。

いや、めっちゃ覚えると思う。


でも、振り返れば自分も同じことをしていたりする。


自分がやってしまった時、すぐさま注意してくれる人って中々いないと思う。ママじゃあるまいし。

(注意してくれる友達や親がいる人は、感謝した方してください。笑)


だから、自分がやってしまったって思う瞬間って、自分が同じことをやられるか、また、他人がしているときに気付くんだよね。


やられた時に感じる気持ちとか目にした時


自分はもうしないように気をつけようって気持ち大切。

もし自分が行なって、やってしまったなーって反省できていれば、きっとそんなことは起こらなかったかもしれない。


結果論だけど。



人なんて、自分でやったことなんてあんまり覚えてないんだよね。

自分自身で自分のことに気づけるより

相手から気づかされる物の方が多い。



また、この人と出会った理由はなんだろうって考える視点も必要。

私を引き上げてくれる人なのか?私の悪いところを気づかせてくれる人なのか?またや私が相手に伝えることがある人なのか。


なんでこの人と出会ったんだろう。って考えればただストレスを感じるだけじゃなくて、自分自身と向き合うことができると思う。


無意味な出会いは決してないはず。


2. 自分の物差しと人の物差しの長さは異なる。

ここでの物差しというものは、感情の幅のことである。

嬉しいな、楽しいな、悲しいな、苦しいなとい言った生理的感情。

人と話していると、なんか違うなーって感じるときあるし、なんでそんなことでって思うことってあると思う。

では、なぜそんなことが起きるのか。

価値観の違いという言葉で片付けてしまったら、そこで思考停止。

今後先に何も繋がらない。


ただ単に、相手の持っている物差しを理解しようとしていないから。


今まで人は様々な人生を送ってきたと思うし、そこで感じた感情も異なる。経験を通じて、人の物差しの長さは変化する。

そんな中で、自分と同じ物差しを持っていると仮定して、話を続けていくこと自体が間違っている。


その人がどのような人生を歩み、その人生の中でどのようなことを感じ、考え、生きてきたのか。どのように物差しの長さを変えてきたのか。

それを理解した上で、コニュニケーションをすると、あら不思議。


自分とも物差しのギャップについて考える必要がなく、相手についてしっかりと考えることができる。


話の中の軸を自分ではなく、相手に立てることができる。


第一、自分の基準で話してる時点で自分善がりで、ストレスも貯まるんだよね。



この話の中で、物差しの長さによっての優位差などは存在しないと思う。

けど、若い時に苦労した人は、それはそれは物差しが長すぎてびっくりするし、一方で短い人は、きっとこれから様々なことが起きて物差しに変化が起きてくるんだろうなって思う。


ここで言うなら、3年5組のメンバーは、異常にに物差しが長い。

長すぎくらいに、長い。


その理由は、果てしない苦労をしているのから。

壮絶な人生を送ってきているから。

もううちの物差しじゃ測れないくらい。


本当にすごいんだよなぁ。


でも、3年5組のメンバーやそれ以降関わった人たちを見ていると、物差しが長い人ほど、生き生きと生きてるんだよね。


様々な事象を測ることができて、それに対する感情を変換できているから。



話がそれっちゃったけど、ここで言いたかったのは

人が心の中で持っている物差しを理解するためには、ちゃんと人と向き合わないと、ただストレスが貯まる、人間関係になるだけ。


以上。


3. 相手がどう思っているのか、常日頃相手のことを考えること。


ついつい話していると、自分の話が先行してしまって

相手の気持ちを忘れてしまいがちになる。


また、言葉を発する際

相手の気持ちを考えず発言してしまう。


そこの会話には、何も生まれない。


相手の気持ちを考えるって、結局自分で考え、主観的な立場になってしまうから意味がないと言う人がいるかもしれない。


相手の気持ちを正しく、再現する必要はここにないから大丈夫。


相手の気持ちはどうなんだろう。


これを考えることで、言葉の選び方・伝え方に変化が起きるから。

それでいいんだと思う。


そう考えることで、ただの発言にイライラはしないと思う。


もし、何か言われて引っ掛かりを感じたら


すぐさま

「その発言は、どのような感情があって、意図があって出てきたの?」

聞くべき。


4.  みんなのいい人の基準は、根底から間違っている。

みんなって一般化している時点で、あまりよくないけど

私的に、一般的ないい人の基準ておかしいと思う。


みんなのいい人の基準て、「優しい、何でもしてくれる、人当たりがいい」とか


いつもニコニコしていて、みんなと仲良しな人って感じ。



え?

いい人なの?

それっていい人なの?


いい人って誰の基準でいい人なの?



基準は人それぞれだけど、みんながいういいひとは、


”自分の都合よく動いてくれたり、自分に攻撃してこない人”


て言う感じ。(偏見)


それはいい人じゃなくて、都合のいい人。



私の基準のいい人は、「相手のことを考え、行動してくれる人」


いや、いい人って言葉自体が間違ってる。

いい人って何?


いい人なんていない。


みんなきっと「相手のことを考え、行動してくれているはずだから」



5. 相手に期待していること時代が自分善がり。


最近、自分の中でモヤモヤしていたこと。

自分は相手に対して、このくらい行動したから、このくらいは相手から返ってくるな。

とか

この人であればこのような行動をしてくれるだろう。

この人であれば、このような助言をくれるだろう。

とか


勝手に相手に期待してて、

相手が自分の予想に反した時、ストレスを感じていた。


でも、実際相手に期待すること自体が自分善がり何だと思う。


言葉使わずして、相手に伝わるなんてなんて傲慢な。


6.  感謝力は育つもの。


最近学校生活を通して、みんなの感謝の薄さを感じていた。

5で話したとは別に、人に助けてもらってることに対しての感謝が薄い。


それに対してモヤモヤしていた。


そして、中学時代のオババ(恩師)に今日電話して聞いてみた。


そしたら、感謝は育つものなんだって。

感謝する大切さを学んできてないから、感謝に対する気持ちが薄いんだって。


学習力や体力と同様、感謝は感謝力なんだって。


腑に落ちた。



きっとありがとうって言っていても、ありがとうの大切さを知らないから、薄くなる。



早く気づいてくれ。


人を頼れる環境や助けてくれる人がいることの重要さに。


7. キツイ時こそ人間関係を大切にすること。

私は結構自分のキャパがくると人間関係をリセットしてきた。


いや、人間関係を整理することは必要ですけど。


自分が対応しきれないもの、自分が嫌になったものは

ポイッてしてきた。

けど、自分がキツイ時こそ人間関係に向き合わなければならい。

その時に自分がどんな人間なのか試される。


無闇矢鱈に人間関係を諦めると


また同じことの繰り返し。


きっと同じことが起こる。



自分がキツイ時に一緒に乗り切れた人は、きっと一生大切にしなければならい人だと思う。


だから、ちゃんと向き合うこと。

8.  神様は結構ドS

私は都合のいい時だけ神様を信じます。

お釈迦様でもイエスキリストでも何でもいい。

見えない何か、神様いると思う。


その神様は、私たちに乗り越えられる課題(試練)を与える。

けど、その課題に向き合わず、逃げるようなことをすれば

より思い課題を与える。


私たちがその課題の本質に気づくまで、ずっと試練を与え続ける。


だから、早いうちになんかおかしいなって思ったら

立ち止まって、自分の行動や環境を振り返り、軌道修正することが大事。


手遅れになる前に。絶対に。


私は、手遅れにした経験がある。

もうどうすることもできなくなってしまった。

神様は本当にドS。


でも、結果気づくことができた。



手遅れになる前に、自分の課題に気づき、向き合うことが大切。


最後に

なんか人間関係の話から悟りを開いてしまったけど、

この話は、自分が落ちた時ように、気持ちを持ち直さなければいけない時用に書いたもの。


中学時代は、よく考える機会が多かった。

いや、考えさせられていたに近い。



だけど、年々考えさせられることも減っていき、また私を軌道修正してくれる友達たちとも中々会えず、自分は全く成長していないのではないかと、自己嫌悪に陥ることも多々ある。


また、3年5組のメンバーのように共通認識を持っていない人たちとの関わり方の苦戦。


オババは言った。

「3年5組を卒業すると、びっくりするぐらい生きづらくなるかもしれない。でも、その現状に諦めず、戦い続けなさい。」

いや、本当にきつい。

今その言葉の重さがわかる。

年々重さが増している。



頑張って戦い続け、人生を深いものにしていこう。

明日も頑張れ。

山本の成長の糧になります。 どのように成長したのかは、全てnoteに綴ります。