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22.何かを変えなければ…

プロローグから続いています。


仕事は続けていた。
調子のいい時期もある。
それでも、以前のような何も考えずに行動するという感覚とは別物になっていた。


なんとかしなきゃいけない。。

私は心療内科を変えることにした。
ネットで様々な口コミを読み、
音楽療法もやっている心療内科に行くことにした。
口コミで評判なだけあって、
予約も取り辛く待ち時間も長い。
それでも良かった。
「今度こそは!」という想いだけでひたすら通っていた。

そして、ここで初めて「パニック障害」という名をもらうことになったのだ。
その間にさらにネットを調べ上げ
催眠療法というものも始める様になっていく。
横になり、誘導催眠をかけるといったものだった。
暗示にでもかけてくれれば好都合だった。

夜になれば催眠療法の音楽や誘導催眠の声を
録音したものを聞きながら寝る。

また、内科や脳外科にも通った。
どこか「おかしい」ところがあって欲しいくらいだった。
担当医師にこの数年自分の身に起こった様々なことを伝え、
どうにかおかしなところを見つけて欲しいと言わんばかりに
検査を受け続けていた。

血液検査、心電図、レントゲン、MRI、脳波。
脳波にいたっては、
数ヶ月に亘り定期的に変化をみてもらったが
どこを調べても何を調べても正常という値。

私の何がいけないの?
そんな想いと共に検査結果を聞いては落胆する日々。
私を早く変えて欲しかった。
私の何が悪いのか早く知りたかった。


パニック障害になって2年。
このままでは
私はこの先の人生を惰性で過ごさなければならない。
そう思った私は必死だったのだ。


ある日、心療内科の先生に言われた。
環境が変わるだけでも良くなる人がいるんだよね。

これだ!と思った。

考えてみれば19歳で法律事務所に来てから早6年。
充実している時期もありながら、
ここ数年大きな環境の変化は何もなかった。
同棲を始め環境が全く変わっていないわけではなかったが、
基本的な生活は何も変わらず
思い起こせばパニックになってからのみの環境の変化しかなかった。

何かをしなければならない!

何かを変えなければならない!

その時、私の頭に浮かんだものが「大学」という二文字だった。
当時、弁護士を初めとした法曹界と呼ばれる界隈に居る人たちと出逢うことが多かった私は、
「高卒」ということが大きな劣等感となっていた。
仕事には支障なく、
むしろ一人で裁判資料を作成できるまでになっていた。
誰も私の最終学歴なんて聞く人は居ない。

でも勝手に耳にする法曹界の人たちの話に、
勝手に劣等感を抱えるようになっていった。


私は大学を受験することに決めた。
仕事をしながら大学に通うつもりでいたので、
近場の大学を調べ始める。
どのタイミングで薬を飲めば自分をコントロールできるのか、
ある程度分かっていた。
ちょうどそんなことが出来ていた時期だったのも功を奏したことに加え、
環境を変えれば必ず良くなるものと信じて疑わなかった。
そして、「いつか」の「何か」のための貯金も大学へ行く分は残っていた。

全財産使い果たしてもいい。
惰性で人生を送るよりはよっぽどいい。
社会人入試が充分できる職歴になっていた。
受験しよう。
環境さえ変えれば私は助かるはずだ。
そこまでの辛抱だ。


翌年、法政大学法学部に通うことが決まった。
27歳。
大学一年生。



つづく




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