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29.こんなママでごめんなさい

プロローグから続いています。



わけも分からず荷物をまとめ、娘を保育園に預けてから
夫に付き添ってもらい病院に向かった。
娘とはしばらく会えないのだろう。
自分から離れる娘にホッとしているのか
会えない淋しさなのか
入院することへの緊張なのか…
もはやどんな自分だったのだろうかという記憶すらない。


閉鎖病棟は二重でドアが施錠され、
看護師と一緒でなければ外に出られないところだった。
到着するとすぐに問診。
血圧、採血、先生との今後についての話をしたのだろうか。
真っ白な部屋に白衣の先生、
そんな残像だけが残っている。


続いて荷物検査。
カバンの中を隅々まで調べる。
自傷や自殺の防止のためか
ひも状のものメイクで使っていたはさみまで没収される。
スウェットのウエストの紐も抜いて預けたのが印象深かった。
そして、外部との連絡を途絶えるためなのか
携帯電話も預けなければならなかった。

部屋に通されると、
思ったよりも真新しい綺麗な個室だった。
大部屋と個室があり私は個室を希望していた。
ベッドに机、トイレに洗面所も完備され
毎日のように掃除してくれる人も居る。
でもベッドの目の前には
大きく配置された窓があるものの10センチほどしか開かない。
トイレにも部屋にもドアはあるが
トイレすら施錠するものは何一つ無く
いつでも外から人が入れる状態となっている。

そんな風に
そこここでこの空間が閉鎖病棟なのだということを思い知る。


ここで私は大量に飲んでいた薬の調整を目的とすることになった。
病棟内には本当に様々な人がいた。
廊下をひたすら歩いている人
何年もの間精神科病棟を渡り歩く主婦、
ビルの9階から飛び降りて入院することになった20代前半の学生、
どうしたら綺麗に死ぬことができるのかを日々談義する人たち、
その他、会社の役員をやっているという男性や、
タトゥーは傷つけたくないらしくリストカットを止めるために
タトゥーを肌が見えなくなるまで入れている主婦もいた。


こんな風に、
数日もすれば誰がどんな感じなのか分かるくらいの広さの病棟だった。


私は一刻も早くここから抜け出したくて仕方なかった。
塗り絵を薦められれば塗り絵をし、
静かに目立つことの無いよう心がけた。
食事は病棟内にある談話室でとるのだが、
そこでも静かに目立つことなく過ごす。

精神科病棟とは言っても、
さまざまな人間関係の温床が垣間見られる。
長年居る人たちの指定席などもあったり
時にはいさかいが起きたりすることさえあった。

それでも静かに
目立つことのないよう心がける。

食後のチェックも抜かりない。
毎回看護師が残した寮を秤に乗せて記録するので、
間食するよう努力した。
薬の時間になると
看護師の目の前で飲み込むまでを
口の中隅々までチェックされるのが苦痛だったが、
それすら顔に出さないように意識した。

ここから早く抜け出したい。
私の居る場所ではない。
当初の目的をすぐに忘れ
優等生であることを目指していたのだ。


それでも、これまで飲んできた規定量以上の薬の影響なのだろうか。
最初の頃は体も重く思考もままならなかった。
そんな時に、隔離病棟から出てきた人を目の当たりにする。
腰や手にベルトをつけて、ベッドに固定するのだろう。
部屋の移動で歩いていたが、
私から見ても生きているのか死んでいるのか分からないほどだ。

私は違う。
私はあんなんじゃない。
そう思えば思うほど、
重い体に鞭をうち「普通の人」を演じていた。


ただ、夜中だけはそれができなかった。
急に湧き出てくる感情で押しつぶされそうだったからだ。

家ではどんな生活をしているのだろう。
娘は、夫は…どんな想いで暮らしてるのだろう。
こんなママ、こんな妻でごめんなさい。
個室のベッドにうずくまって泣きながら過ごす夜も多かった。
一時間ごとに見回りに来る。
部屋に看護師が入り
安否確認を毎晩行うための見回りのように見えた。
その度に「大丈夫です」と私は答え、
そんな時でも平然を保つ努力をしてた。

夜中の2時を過ぎると廊下が慌しくなる。
毎晩寝られない人たちの移動が始まるからだ。
一人また一人と何人もの人たちが
ナースステーションに眠剤をもらいに行くのが許されるのが
夜中の2時。
消灯しているが廊下だけは煌々と明るかった。
ドアの隙間からその人たちを眺めては
朝が来るのを待つことも多かった。


週に一回
日曜日になると夫が娘を連れて面会に来てくれていた。
娘の姿を見ると、
満面の笑みを作ろうとするものの
心が苦しくて堪らなかった。

ある日の面会時、
見たことの無いハイビスカス柄のワンピースを着てお見舞いに来てくれた。
買ってもらったの♪
嬉しそうに一生懸命私に伝える娘に対し、
ただただ申し訳なくて一杯だった。

数週間離れただけで私が知らない娘を見ているようで、
一体私は母親として何をやっているのかと
自分を責めるに足りる姿だった。
なによりも娘は帰り際、
一度も私に「一緒に帰ろう」とか「いつ戻ってくるの?」など
聞かないことに胸を痛めた。


まだ3歳。
でも言葉も覚えて、
自分の気持ちを表現できる年頃だ。
あれだけ私は辛く当たっていたのに、
いつも「ママ~ママ~!」と私を追いかけていた娘。

お願いだから離れて!
私のようになってしまう!
私と一緒にいると危ないから離れなさい!

そんな風に接してきた娘から、
一度も私に「ママ帰ろう」と言ったことが無い。
必ず最後は、「ママ元気でね!バイバイ!」と笑顔で私に手を振る娘。

そして決まって面会の後は、
いつにも増して泣き崩れる自分がそこにいた。


こんなママでごめんね。

こんなママで本当にごめんね。


つづく


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