「アイデンティティ」にこだわりすぎない生き方

私は外資系メーカーで人事の責任者をしています。今、人事の世界でもっともホットなテーマの一つは「キャリア」です。
人事部門ではないビジネスパーソンでも、新聞、雑誌、ネットなどで、キャリアやそれに関連する言葉はよく見聞きするようになっていると思います。

そしてそのキャリアを考えるときに切っても切り離せないのが、タイトルに書いた「アイデンティティ」という言葉です。

当たり前のように使われている言葉ですが、そもそもアイデンティティって何なんでしょうか?
就活や、転職、人生やキャリアの節目などで、自分のアイデンティティ(それがあるならば)とは何かを考える機会が必ず出てきますが、そのアイデンティティにこだわることに、大きな意味があるのでしょうか?

私の思う結論を言うと、答えはノーです。

では、アイデンティティとは何なのか、そして、アイデンティティにこだわりすぎない方がよいと思うのはなぜかを、話していきます。

1.アイデンティティとは何か?

日常語化しているので、あらためて「アイデンティティ」とは何かと聞かれると戸惑いますが、重要ですので、その定義を見ていきたいと思います。

1.1 辞書による定義

『広辞苑』に記載されている定義では、
自己が他と区別されて、ほかならぬ自分であると感じられるときの、その感覚や意識を言う語。
自己同一性。自我同一性

『ブリタニカ国際大百科事典』では、
自己同一性などと訳される。
自分は何者であるか、私がほかならぬこの私であるその核心とは何か、という自己定義がアイデンティティである

と書かれています。

1.2 心理学者 エリクソンによる定義

そもそも、アイデンティティという用語は、心理学から派生したものと言われていて、この言葉を広めたのは、エリク・エリクソンです。
エリクソンは、『アイデンティティ:青年と危機』においてアイデンティティを次のように定義しています。

個人の中核、さらに、彼のコミュニティ文化の中核に位置するひとつのはたらきであり、これらの2つの同一性の一致(identity of identities)を確立するはたらきである

このように、エリクソンのいうアイデンティティは、単に個人に焦点を当てたものではなく、コミュニティあるいは他者の集まりである集団や組織などと同じであることを示しており、現代の解釈とズレがあります。
また、彼のライフサイクル論から読み解くと、人格的成長の過程で多様に変化するものと受け取れます。

ここからわかるのは、現代の私たちは、アイデンティティという言葉を、エリクソンの定義付けの中で、「自分とは何者か」や「他人と区別するための自分らしさ」という点に、より焦点を当てており、本来の自分、言い換えると、一生涯か少なくとも長期にわたって変わらない自分の本性のことを指すものと考えていると言えそうです。

2.アイデンティティとパーソナリティの違い

アイデンティティを考える時にまぎらわしいのは、パーソナリティとどう違うのか、ということです。
単純に日本語訳だけで考えるなら、

アイデンティティ = 自分らしさやその個性
パーソナリティ = 個性や性格

というようにほぼ同じ意味になります。
ちなみに、パーソナリティの語源は、ラテン語で仮面を意味する「ペルソナ」であり、それが俳優が演じる役割に転じ、今では個性を意味する言葉となっています。
実はこの仮面(ペルソナ)が私の主張のカギになりますが、ここではさらっと流して、両者の違いに戻ると、用法から判断するならば、次のように理解することで、ほぼ合っていると考えます。

アイデンティティは、「個性を自分がどう認識しているか」であり、
パーソナリティは、「個性を他者からどう認識されているか」です。

3.ニューキャリア論の視点

2016年にロンドン・ビジネス・スクール リンダ・グラットン教授の『ライフ・シフト』が日本でも出版されてベストセラーになったあたりから、岩盤だった日本人のキャリア観が大きな転換期を迎えているように思えます。
人事責任者として、採用(私の場合は、ほぼ中途採用です)面接をしていても、ミレニアル世代(2020年に25歳から40歳になる世代)では、ほとんど一社で終身雇用という考えを持っている人、あるいはそれが可能だと思っている人は、あまりいないということを実感しています。

そこで現在、あらためて脚光を浴びるようになってきたのが、ニューキャリア論であり、その中でも、2019年に法政大学の田中研之輔教授が「キャリア資本」という概念と「心理的成功」という価値観を取り入れて取り上げた、ダグラス・ホール教授提唱の「プロティアン・キャリア」です。
プロティアン・キャリアとは、変幻自在のキャリアのことであり、これからの激動の、しかも先が見えない時代においては、アダプタビリティ(適応できる能力)アイデンティティがキーワードになると説いています。

ここで言いたいのは、キャリア自律が求められる時代にはアイデンティティについて考える必要があるということです。ただし、既成概念にとらわれることなく、戦略的に考える必要があるということです。

では最後に、私たちはアイデンティティをどう捉えて、どういう生き方をすることが望ましいのかを見ていきます。

4.アイデンティティに「分人」という考え方を取り入れる

「分人」という概念は、芥川賞作家である平野啓一郎氏が、著書『私とは何か 「個人」から「分人」へ』で提唱しているものです。
そこでは、分人を次のように説明しています。

たったひとつの「本当の自分」など存在しない
裏返していえば、対人関係ごとに見せる複数の顔である分人こそが「本当の自分なのである

自身を振り返って見るとどうでしょうか?
会社で見せる自分、配偶者に見せる自分、親に見せる自分、子に見せる自分、友人に見せる自分など、ほとんど一貫性がないのではないでしょうか?
でも、その一貫性のなさは悪いことであったり、自分を無くした状態なのかというと決してそうではないでしょう。
むしろ、「本当の自分」はたったひとつだとこだわり、人生のすべての局面において、同じ面しか見せることができず、同じ反応をする人がいたら、その人は「頑固者」や「融通の利かない人」とネガティブに見られます。

あらためて、エリクソンが定義したアイデンティティを見てみると、そこには、個人とコミュニティとの間の同一性が説かれていますし、田中研之輔教授(タナケン先生)も、「関係性」を非常に重視しています。

私たちは、今まで何か不変の自分らしらというものを持っていて、そのたったひとつのものを「アイデンティティ」だとしてこだわりすぎていたように思います。
これから求められるのは、アイデンティティは多様に変化するものだと捉え直し、いろんな局面で多様な側面(「分人」)を自分の中に持つことこそが、人生を豊かにするとともに、柔軟な生き方(変幻自在な生き方)を可能にする、真のアイデンティティの追求なのだと思います!



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