小声コラム#32 できないときにしかできないこと

近頃は拍車がかかったように毎日が過ぎていくので、非常に怖い。
実は(という程でもないのだけれど)、毎日iPhoneのメモに何かしらを書き留めている。メモのタイトルには日付と自分が生まれて何日目を表すの数字を記している。だから、人よりも少しだけ、毎日の経過に意識を置いているはずなのだけど、ほとんど意味を成していない。ただ毎日数字が1つ増えるだけで、そこに感じるものはない。
そんな虚しいことを言うなってーと、このコラムを書こうと思って、3日前から編集ページを開いていた。けれども全く書けなくて、書こうとすればするほど、書けないことにどんどん気分が落ちていった。書くことがないというわけではなく、文字するのが億劫という感じだった。
スランプや"降りてこない"みたいなカッコいい事が言えたらいいけど、生憎ボクは何者でもない。では、なぜ今こうして文字にしているのか。胸を打つ瞬間に出会い、書けないなら書けないことを書けばいいと思ったからである。

あるラジオパーソナリティが、トークがないからトークがない話を長々と笑いながら話し続けていた。
あるシンガーが、歌詞が書けないことを歌詞にしたら歌になったと話していた。

それに倣ってというわけではないが、できないときにしかできないことってあるのではないかと思った。できないことに素直に取り組むと何かしら生みだせることをボクは知っていたのだ。
ただし、これは何度も繰り返すことはできないジョーカーのようなものだ。書けないことを頻繁に書くようになったら、それは書けないフィルターをかけてるだけで書けていることになる。

それはそうとして、どうして書けないのかを書くことは、普段書ける状態がどういうものなのかを明らかにすることでもあると思う。
ボクも考えてみた。ボクの場合、このコラムを書くときは面白そうなことを発見したときと、勢いで言葉を吐き出した方がよいと感じるときだ。
面白そうなことを発見するにはアンテナが必要で、冒頭に記したように書き留めたメモが意味をなさない状態では、面白そうなことに気づけない。
勢いで言葉にした方がよいと感じるときは、主に何かをインプットして影響を受けたときだ。または、日々の膿を吐き出さないとダメになりそうだと感じるときだ。そういうときはたいてい、文章なのか怪しい言葉を綴るだけだが。

そのいずれかも該当しなかったので、ボクは何も書けなかったことになる。インプットくらいしろよって話であるが、好きなことすらインプットするのが苦しいタイミングがある。好きなモノを好きでいられない時期。
これは本当に苦しい期間で、何をするにも気力のなさを自覚するのは、かなり虚しい。

そんななかで胸を打ったのは、日本茶を味わい、映画館で「すばらしき世界」を観たこと。それを経てようやく、小声でコラムを書けるようになった。

それだけの話を寝ボケながらここまで書けたので、ここでおやすみだ。眠い。


#32  できないときにしかできないこと

この記事が参加している募集

私のコーヒー時間

桜前線レポート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?