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カオスなプロフィールを作ってみた

1968年、岡山県生まれ。
地元の高校(情報処理科)を卒業後、自動車メーカーの経理課に勤務。
物流会社勤務を経て、20代半ばで沖縄石垣島に移住。島で本を制作したり、絵を描いたりしながら約10年間を過ごす。

島暮らし10年目の秋、身寄りも知り合いもいない千葉県にふと転居。
様々な人間模様に揉まれて、30代半ばからの5年間は生活のための労働と、シングル子育てと、疲れの記憶しかない。人生で一番老けていた。

2010年秋、インターネットでハローワークの職業訓練生募集要項を見つけ、経済力をつけるためには資格が必要と一念発起。
2011年4月、介護福祉士養成校に社会人訓練生として入学。
入学早々レポートに「高齢者には先がない」と書いてしまい、赤ペンで相当な修正を受ける。

2013年春、某介護福祉専門学校2年間の課程を終え、無事卒業。
念願の介護福祉士国家資格を取得し、医療法人運営のデイケアに就職。
2015年、事業所の専属運転手が交通事故を起こし、怪我を負った利用者さんが下車する場面を見てしまう。
前々から感じていた「送迎業務は高齢者の身体を知っている介護の専門職がすべきだ」という信念のもと、自身でハイエース送迎をするため、他医療法人の運営するデイサービスに転職。
勤務2日目でハイエース(練習中)のお尻をぶつける。

2016年、認知症介護実践者研修 修了。
2018年、認知症介護実践リーダー研修 修了。
素晴らしいブレーンに接する機会を得る。未だにこの研修での経験は、わたしの福祉の学びの中で一番輝いている。

同年、介護支援専門員実務研修受講試験(いわゆるケアマネ試験)に合格。
(介護支援/18点・保健医療福祉サービス/29点)
ちなみに、この年のケアマネ受験合格率は全国10.1%、千葉県では9.5%という低さだった。
自分で言うのもおこがましいが、50歳で、働きながら、これだけの難易度の試験に一発合格したノウハウは、もしかしたら誰かの役に立つんじゃないかと思い始める。

2019年、介護支援専門員として、サービス付き高齢者向け住宅併設の居宅介護支援事業所に転職。
入職するなり、事業所の人間関係を見て即座に失敗した感を察知。深入りする前に逃げなくてはと、3か月で退職する。
同年、特別養護老人ホーム併設の居宅介護支援事業所に転職。様々な困難ケースを経験。

2021年初冬、お付き合いのあった福祉用具専門員さんから「うちも募集してますよ」のお声掛けをいただき、年末であっさり転職。
現事業所に入職する。
現事業所では年収が100万円近く減ったが、ほどよい規模の営利会社であること、ケアマネ一人にそれぞれ専用車が与えられ、iPadとスマホも持たせてくれること、大所帯の法人にはない自由さが気に入っている。

2024年3月、社会福祉士国家試験合格。
行政書士受験勉強を始める。

なお、このプロフィールは、各国および世界の各地域で展開してもよい。
(しょっちゅう書き直すと思います・・)


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今回は、大好きなベトナムの画像をお借りしました。
バッチャン焼きのカップが欲しいなあ・・


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