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ショーペンハウアー「読書について」(1819)/100年経っても読まれる本

2021年は180冊、本を読んだ。その中で読んでよかった本ベスト5を考えてみたところ、こんな感じとなった。

ボリス・ヴィアン「うたかたの日々」(1947)

夏目漱石「草枕」(1906)

荒木経惟•陽子「東京日和」(1989-1990)

三木清「人生論ノート」(1938-1941)

梨木香歩「春になったら苺を摘みに」(2001)

何故古い本が印象に残るのか、というと、やはり残るだけ、取り扱われているテーマが普遍的だったり、世代を超えた人さえも刺激する「何か」があるんだろう。だから、古い本には当たりが多い。

年末に読んだショーペンハウアー「読書について」(1851)にも、こんな記述があった。

どんな時代にも二種類の文学がある。両者は互いにほとんど素知らぬ顔で、それぞれの道を行く。真の文学と、うわべの文学だ。真の文学は「不朽の文学」に生長する。それは学問や詩のために生きる人々によってはぐくまれ、おのれの道を真摯に静かに歩む。だがその歩みはきわめて遅く、ヨーロッパで100年間にかろうじて十あまりの作品が産み落とされるにすぎない。しかしそれらは永遠の生命を持つ。

ショーペンハウアー「読書について」

2021年に読んで、あれ、こんな本だっけ、と首をかしげた一冊にロバート・フルガムの「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」があった。日本で大ベストセラーになった時分に手を取った時は、いい本だと思ったのに。なぜ陳腐化したかというと、今は当時よりもっと個々の「欲」を重んじるから、全体調和を善とする言説は、手垢がついた、古臭い言葉に感じてしまうんだと思う。

とはいえ、2022年、ゲーテの「ファウスト」(1808-1833)を読むと、ありとあらゆる享楽に高じても満たされなかったファウストが「留まれ、お前はいかにも美しい」と叫んだのは、理想の国作りに向かって前進していると実感した時で、つまり己の欲のことばかり気にしてもね、というのもまた真実。

私が理想的に思うのは、自分の欲が他者の利益にもつながることだ。そんな欲を見つけていきたいと思った年初め。
100年以上前の本を読み、なぜ100年以上も読み継がれたのか、を考えて、こうやってテキストに遺していけたらいい、それが誰かの役にも立つように。

明けまして、おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします!



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