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岩井俊二「Love Letter」/「はじめて」は貴重だということ

先日、昨年の大ヒット映画「君の名は」のプロデューサー、川村元気さんのお話を聞く機会があり、そこでここ半年ずっと知りたかったことの答えが分かった。

それは「川村元気はいつ、新海誠を知ったのか」ということ。

というのも、私は「君の名は」の監督、新海誠の処女作「ほしのこえ」を2002年の公開時にみたのだけど、その時の感想は「話題になっているけど、自分にはピンとこない」だったからだ。

去年「君の名は」をみた後から、それがずっと気になっていた。いったい川村元気さんは2002年当時、「ほしのこえ」をみていたのだろうか。その上で、新海誠監督の才能を見抜いてたのだろうか。

川村元気さんの答えは明快だった。公開当時にみて感動し、すぐに新海誠監督に会いに行った。

帰り道、私は少々落ち込みながら会場を後にした。才能を見抜ける人は見抜けるし、見抜けない人は見抜けない。

自分が見抜けない側の人間だ、というのは、特に私のようにモノカキを志している人間にとっては、やるせないものだ。

モノを書く、とは、埋もれている価値あるものを、文章を通して世の中に知らしめる行為だと思っている。だから「君の名は」を生み出すような監督の処女作品をみて、何も感じないというのは、大問題、そう思った。ただ「君の名は」を見た後、再び見返しても、どうしても私には新海誠監督のよさが「ほしのこえ」からはみえなかった。

ところが先週、好きな映画の話を知人としていた時に閃いたことがある。「ほしのこえ」は「思春期の少年少女のすれ違い」を描いている。ただ、私は「思春期の少年少女のすれ違い」を題材にした素晴らしい映画を他に知っている。それが岩井俊二監督の「Love Letter」という1995年の作品だ。

酒井美紀が演じる「藤井樹」は、クラス替えの初日に柏原崇が演じる「藤井樹」の存在を知る。同姓同名の二人は、クラスメイトからことあるごとに冷やかされ、特に酒井美紀演じる「藤井樹」はそのことをうとましく思っている。この話を「映画」としてみている私達は、柏原崇演じる「藤井樹」が、もう一人の「藤井樹」を意識しているのは何となく分かっている。だけど、彼女は気づいていなくて、その事実を、柏原崇演じる「藤井樹」の元婚約者である中山美穂が、紐解いていく。

この映画の見所は、まさに「思春期の少年少女のすれ違い」。

好きな子にはついついちょっかいを出してしまうけれど、相手にとってはただの不可解な行動となってしまう。なんとか素直になろう、と思っても言い出せなかったり、はてさて意中のあの子の友達が自分のことを好きだったり。そして酒井美紀が演じる「藤井樹」が、柏原崇が演じる「藤井樹」を意識するタイミングで、彼は転校することになり、そして二人はそれっきりになる。

この映画をみると、自分の初恋を思い出す。他の人とは問題なく喋れるのに、彼、だけは意識しすぎてぎこちなくなってしまう。

せっかく帰り道が一緒になったのに、沈黙が気まずくて、ありもしない忘れ物をとりに学校に戻ったり。それなのに彼と帰る時間をあわせたくて、彼の部活の様子を伺いながら、意味もなく、部室で整理整頓の振りをしていたり。

この映画を最初にみたのは、高校3年生の時。だからそんな不器用な立ち居振る舞いしかできなかった時から、数年しか経っていなかった。

だけど、映画を通して「好き」という自分の中にはじめて芽生えたまっすぐな思いと、それを上手く表現できなかった、かつての自分に、ものすごく泣いた。

久しぶりに見返して、やっぱり泣いた。高校生にみた時と、同じシーンで同じように、胸が締め付けられた。

新海誠さんの「ほしのこえ」をみたときに私がピンとこなかった理由。それは私が「ラブレター」を先にみて、叶わなかった自分の初恋を、既に供養していたからなのかも知れない。

「ほしのこえ」を未だに楽しめない自分を少々残念に思う。

だけど「はじめて」て貴重なのだ。それは初恋のように、そしてその美しさに初めて気づかせてくれた「ラブレター」という作品のように。

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