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noteを書き始めて気づいたこと、気づいてしまったこと

文章を書いていると時間が飛ぶということに気づいた。

何だこれは、気づけば一時間二時間と飛んでいる。

恐ろしい。恐ろしいのだけれでも、それだけ没頭できているということである。

もしかして、文章を書くということに適正があるのでは?そう感じた。

適性があるというのは、才能があるという意味ではない。文章を書いている時に苦も無く書けているということ、没頭できているということ。

立派な文章が書けるとも思っていないし、書くつもりもない。ただ、思考していることから溢れ出てくることを書き連ねるのみ。

時間が飛ぶという経験は他にもある。それは動画編集だ。動画編集していたら時間が飛んでおり、気づいたら夜の12時を過ぎていたということもよくあった。

動画編集も適正があるのかもしれない。でも、決してセンスが有るというわけではない。再生数を稼げる動画なんて作ってないので。ただ、動画編集も苦も無く時間を飛ばせるということだ。

リスキリングだどうだとくだらねぇ横文字を増やしているようだが、これに乗っかるとしたら、文章力を鍛えるというのは良いリスキリングだと思っている。

動画編集を鍛えるのの選択肢なのかもしれないけれども、動画編集している間は脳みそは何も考えていない状態が続いているとも言える。

一方で、文章を書くということは、思考しながら書いているので思考力を鍛えられている気がする。気がするだけかもしれなないが、これは、どんな仕事にも役に立つのではないだろうか。

と考えると、やるべきことは、文章を書き続けることだ。

ここで、noteという媒体があってよかった。

ブログだと、広告がどうだとか、SEOがどうだとか余計なことを考えないといけない。

noteでは、ひたすら書けば良い。そう思っている。

あと、自分の文章を読み返して気づいたことのだけれども、「です・ます調」と「だ・である調」が混在しているいることがある。どうやら、その時の気分や展開によってコロコロ変わっているようである。これは、本来あってはいけないことだと言われている。ちなみに、今は「だ・である調」の気分らしい。

「です・ます調」と「だ・である調」をきちんと整理するかという話だが、そんなことしったこっちゃない。ここは、私のテリトリーだ。その時その時の気分で変えていく。

そもそも、私は何でも茶化したい人間なのだ。

今でも、たまに仕事中にブラック的なジョークを言って、相手をドン引きさせることがある。

だが、しったこっちゃねぇ。

「です・ます調」と「だ・である調」にさらに「おふざけ調」も加えてやる。

文章を書くことを億劫にさせる制限はいらねぇんだよこんちきしょうめぇ!

おっと、失礼。
いきなり、「おふざけ調」になってしまった。

それはそうと、学生時代はあんなに文章を書くことが嫌いだったのになぜこんなに文章を書くのが苦じゃなくなったのか。

そして気付いた。

ちょっとここから臭い話になるので、注意が必要だ。

クサいセリフとかのクサいではなく、ガチの臭い話なので、苦手に人はここで読むのをやめてほしい。

では、ここから臭い話。

自分の思っていること、考えていることを文章にするということは、「ああ、今ウ◯コしたいな」って時に、ウ◯コをしているようなものだ。しかもブリブリと快便だ。最高に気持ちいい。

一方で、読書感想文など課題の本を読ませて感想を書かせるのは、「おい、お前、ここでウ◯コしてみろよ、そのウ◯コ見てやんよ!」と言っているようなものである。セリフだけ見ると最低だし、どう考えてもイジメである。
その挙げ句、「お前、きったねぇウ◯コしやがって、もっと綺麗なウ◯コできねぇのか」と言われるのである。なんなんだ、この辱め。

読みたくもねぇ本を読まされて、書きたくもねぇ感想文を書かされるなんて、拷問でしかない。

興味もないことはできない。だから苦痛だった。

今は、興味あることを書きたいように書いている。だから気持ちいい。

これは、noteを初めてなければ気づかなかったかもしれない。

だが、気付いた以上、文章を書き続けていくしかない。自分のために。

思考の便秘を解消するのだ。

私は、内向型人間であるので、思考が常に頭をぐるぐるしている。この思考は今までほとんどアウトプットしてこなかった。つまり、慢性的な思考の便秘状態だ。この状態が健康に言い訳がない。

樺沢紫苑先生の著書「アウトプット大全」では、インプットとアウトプットの割合は「3:7」が良いとしている。私の今までのインプットとアウトプットの割合はほぼ「0:10」だ。つまり、思考の糞詰まり状態で死んでいてもおかしくない。

思考の便秘を解消するために、今後もnote書いていきたい。この際、人の役に立つかどうかは関係ない。肥料になるかどうか考えてウ◯コする人はいない。ウ◯コは、したいからするのだ。

その出されたウ◯コを肥料とするか廃棄物とするかは読んでくれた人に任せたい。

後半は汚い話になってすまない。ただ、例え話としてガッチリと当てはまったのがウ◯コだったのだ。仕方がない。実に臭い話であっただろう。

気づけば、この部分で今回の記事も2千文字を超えてしまった。あんなに文章を書くのが嫌いだったのに、原稿用紙1枚分書くのも辛かったのに。

実に面白い。

ちなみに、最近の文章を書いている時間を見る限り千文字書くのに一時間ぐらいかかかっているようだ。

あんまり文章を書くのに時間をかけていると、それはそれで可処分時間が減っていくので、短くまとめたいところ。

最近書いていた、断捨離やMacBook関係の文章は、だいたい1万字を超えているので結構時間を奪われている。なんてことだ。

とはいえ、割と楽しいのでそれはそれで問題ないのかもしれない。

これ以上長くなるといけないので、今回はこのへんで。

では、さらばじゃ。


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