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【読書】 『ルイズ-父に貰いし名は』

この本は、最近再会した恩師&教え子との第2回読書会の課題図書である。初版は1982年で消費税がまだ存在しない頃のものだ。その後、文庫本なども出ているが、恩師に「ハードカバーで読もう」と提案され、各々が中古で取り寄せて手にした。

出版当時、私は小学生。その昭和の頃に手に取られた本だということと、描かれている明治〜大正〜昭和の匂いを感じつつ読み進めた。


親子の縁の深さ

この物語はノンフィクションだ。松下竜一が一年半にも及ぶインタビューに基づいて書いたものらしい。まずは彼が、よくもここまでを引き出したと感心する。

主人公のルイズは、物心ついたころに両親を亡くす。両親は大杉栄と伊藤野枝だ。

ルイズの人生は、亡くした両親とつねにともにあった。(というと、陳腐な言い方だが…うまく言えない)いや、その両親というのが大杉栄と伊藤野枝であったために、物心ついたころに亡くした彼らの存在に、つねにたいていは苦しめられて生きていく。(苦しめられただけでない、と気づくのは大人になってからという描写)

胸を張って彼らの娘だと名乗ることができず、なるべくその事実を知られないように生きていた。両親の死後、ルイズという名を留意子と改められるのだが、その後ルイズに近いルイと名乗るようになるところに、この作品の根底に流れるメッセージを見て取れる。

結局、親が亡くなっていようと、親から引き継がれた想念や価値観のようなものが人間のなかにはやはり存在するのだろうかと、自分の身も振り返りながら読み終えた。

福岡と横浜と、日影茶屋

主たる舞台は福岡であるため、海辺の町を想像しながら読む。

横浜の鶴見や、葉山や逗子の日影茶屋はわたしにとっては縁の深い土地であるため、そこらで昔起きた現実に思いを馳せながら、日影茶屋などまさに情景を思い浮かべながら読んだ。

福岡には土地勘がないので、それがあればもっと情景を豊かに想像しながら読めるだろうに、と思感じた。頻繁に出てくる地名が今も存在するなら、すでに馴染み深いような気持ちにすらなるかもしれない。松下竜一はそういう、土地に刻まれているなにかを伝えることに長けているのかもしれない。


ルイズのなかに眠っていること

ルイズは貧しい中でも、つねに楽しいことを見つけそれを子どもたちと分かち合おうとする。また、貧しいながらも本を買うことだけは躊躇しない様子などに、歴史的にも大きな影響を与えた両親から受け継いだDNAのようなものが見え隠れするようだった。

世の中の課題に対してより良く変えたいという思想(よく変わったのかどうかわたしには判断できないが)、学びに向かう姿勢などがルイズの家族を想いながら起こす行動や姿勢にも引き継がれているようにも思えた。

わたし自身のことに当てはめて考えてみた。自分は既存の価値観をつねに疑ってしまうようなところがあるのだが、息子たちはそれに反発することも多い。しかし「その判断は何に基づいて…?」と世の中に流されない潔い選択をすることに驚かされることもある。

まだ表現しきれていないが彼らにも、自分の信念のようなものが育ちつつあり、それが既存の価値観に沿うものばかりでもないことのなかで揺れる様子がある。

強く反発されながらも、このやりとりひとつひとつが、彼らを育てているのだろうと感じる時、大杉栄と伊藤野枝が死してもなお、子どもたちに与えていた親としての影響の大きさを考えたりする。

亡くなってもなお、受け継がれるものとは何なのだろうか。親子の縁の深さを改めて問われるような読後感であった。





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