【絵本✖️ものの見方】『あおくんときいろちゃん』
わたしは「絵本」を用いて学習者の「ものの見方」を育成することを目指しています。
絵本の原作と翻訳を比較することを通して、ものの見方を培う授業デザインをして、実際に授業をして学習者にどんな学びが起こったのかを調べることを主な研究のテーマにしています。それを「英語教育」として行えるかを考えています。
little blue and little yellow
Leo Lionni 原作のlittle blue and little yellow という絵本です。
Leo Lionni (1959) little blue and little yellow. DRAGONFLY BOOKS
この絵本のいくつかの本文に着目します。
「この3つの文を、それぞれ日本語に訳してみてください。」がはじめの活動です。どんな訳になりましたか。
4人ほどのグループになってお互いの訳を紹介し合います。これはいくつかの大学で実践してみましたが、おおむねここでの訳は似たようなものが大半になります。
さて、この絵本には日本語翻訳版が出版されています。こちらの絵本です。
『あおくんときいろちゃん』
レオ・レオーニ作 藤田圭雄訳(1967)『あおくんときいろちゃん』.至光社
50年ほど前に出版された翻訳絵本『あおくんときいろちゃん』です。今でも人気の絵本ですよね。
さきほどの英語の本文は、この絵本ではどのように訳されているでしょう?見てみます。
ここでもう一度、グループディスカッションです。自分たちの訳と翻訳者の藤田の訳を比較して、相違点や共通点を見つけます。かなりの相違がみられることが多いです。
hug やkissが日本語に一切訳されていないことなどに驚きの声が上がりつつ、その意図や背景を推測し始めます。ものの見方を鍛え始めます。
出版が1960年代であること、アメリカと日本の文化の違い、現代と50年前の文化の違いなどに着目し始めます。日本の文化に配慮してhugやkissをあえて訳さなかったのではないか、など。
ここでさらに問います。
「自分たちの訳の背景にはどんな意図や価値観があるのだろうか、
藤田の訳の背景にはどんな意図や価値観があるのだろうか。」
ものの見方を問う
大学生とこの授業をすると、これまで自分たちが受けてきた英語教育の影響の大きさを指摘する声がとても多くみられます。
「直訳があたりまえだった。」「むしろ直訳しないと減点された」「無意識に直訳をする癖がついている」
また、藤田の訳の背景については、「読み手である子どもたちのことを考えている」「こんなに意訳してもいいんだ」などの声が上がります。
自分たちと藤田の訳を比較して感じたことを問うと、「なんのために訳すのか、ということをこれまで考えたことがなかった」「訳を読むこどもたちのことを考えて翻訳をすることをこれからはやってみたい」などという声がありました。
一歩踏みこんで考えさせる
教育学部の学生とこの授業をしたときは、ここから一歩踏み込みました。
「なるほど。そうすると、藤田の訳が完璧で、みなさんの訳はダメなんですね?」
「みなさんの訳では、子どもたちのためにはならないんですね?」
「逆に、藤田の訳は本当に子どもたちのためになったんですね?
藤田の訳に、子どもたちのためにならないことはないんですね?」
再度、ものの見方を働かせて話し合ううちに、こんな視点が出てきました。
「hugやkissについて訳さないことで、日本の子どもたちが異文化に触れる機会を失わせた、とも言えるかもしれない。」
比較することで見えること
言語は文化を背負っています。したがって、原作(英語)と日本語訳を比較すると、その背景にある文化への気づきを促すことができます。また、それに関わる人々の意図や価値観について、考える機会を得られます。
原作だけ、日本語訳だけを読むのではなく、どちらも読んで比較することの面白さがあると思いませんか。
そんなことを「英語教育」の枠組みのなかで実践していきたいひとりの教員です。
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