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”他者の靴を履く”で考えたい、たった1つのこと

今朝ご紹介する本は、鹿島茂さんの対談集「多様性の時代を生きるための哲学」📖

今朝は、私が大好きなブレイディ みかこさんのパートをご紹介します!

本の中で見つけた「言葉」をテーマに、皆さんにある一冊をご紹介していく「言葉で聞く読書」📖
noteを読む時間がない方は、何か作業をしながらコチラをお聞き頂けると嬉しいです🍀


他者の靴を履く(=エンパシー)を考える

本書で、特に印象に残った言葉はこちらです。

他者の靴を履くのは重要なことだけれど、それで自分の靴をなくしてしまってはいけない

もともと、ブレイディ みかこさんを好きになったきっかけは、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』というエッセイでした。

この中で紹介されているのが、エンパシー(=意見の異なる相手を理解する知的能力)の話💡

ブレイディさんの息子さんがエンパシー=「他者の靴を履く」と表現されたエピソードが紹介されています。

他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」という本も大好きな本なので、興味を持たれた方はぜひ😊

エンパシーの危険な面も知る

これまで、エンパシーに対してポジティブな印象しか持っていなかった私ですが、本書の中では「危険性」にも触れられています。

エンパシーが最高度に強烈になると自分がなくなってしまうのではないか?

つまり、相手に没入しすぎて自分を忘れるのは、正しいエンパシーではないのではないか?という問題提起なんですね。

そのため、ブレディさんたちはこう述べています。

「他者の靴を履く前に、まず、自分の靴がしっかりしていないと」

エンパシー⇒自己喪失の究極例「DV」

それは、具体的には、どういったことに気を付けたらいいのでしょうか?

エンパシーの行き過ぎで自己喪失してしまった究極の例として、特に印象的だったのは、ドメスティックバイオレンス(DV)です。

DVの被害者は、自分の身に被害を受けてるにも関わらず、加害者に対して「きっと、あの人もつらいんだ」「自分がいけないのかもしれない」など、加害者に寄り添う考えを持つこともあると言います。

最悪、DVによって命を落とすような不幸なケースも欧米では少なくない、とブレディさん。

他者の靴を履いた時に感じる、痛みや不快感。

「それを感じないふりをしたり、ないことにしたりするのは欺瞞(ぎまん)だ」

というお話が、印象的でした。

自分の大切にしたい価値観は手放さない

今まで、エンパシーの良い面ばかりを見てきた自分に、少しヒヤッとした体験でした。

DVまでいかずとも、意外と、普段「自分の靴を大切にしていないこと」ってあるのかもしれません。

例えば、言葉の暴力もその一つなのかなと。

他者の靴を履く、つまり、意見の異なる相手を理解する姿勢は大切です。

でも、他者の靴を履いて自分の尊厳が傷つけられるようなことはあってはならないとも思いました。

他者の靴をちょっと履いてみて、違和感を覚えたら、すぐに脱いでいい。

サイズの合わない他者の靴で歩き続けることは、自分の足を傷つけることになるわけで。

自分の靴、つまり、自分が大切にしたい価値観や考えは手放さず、大切に持ち続けたいと思いました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます🍀

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