安心できるところがあるから。
ななめの関係が大事だと思っていて、社内でもななめのつながりができるような場をつくったりしている。
今は細々しか動けていないのだけど、社内で大きく活動していたときの、ななめの関係の場のコンセプトが、「安心できるからがんばれる」だった。
コピーとしてそう謳ってはいなかったけど、コアはそこだと思っていたし、今でもその部分を大事にしてやっているつもり。
なんでも話せる、話して応援しあえたり励ましあえたりする、というつながりがあるということが、しんどいときにも抱えこまずにいられたり、何か思いついたときにチャレンジしやすくなったりする。
そういう関係をつくるのが目的で、そのための、ななめの関係。
上下関係なく、評価とかも気にせず、安全にいやすい関係性で。
適度な距離があるから、客観的に見やすかったり、視点を変えやすかったりもするし、いろんな情報が得られたりもする。
参加者の方々が求めるのは、つながりや情報交換などが多いのだけど、なんでも相談できるとか、普段しない深い話ができるとか、そういう喜びの声は確実にあり、そのベースはやっぱり安心なのだと思う。
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ななめの関係でなくても、安心を感じられる場はあるとよいと思う。
友人でも家族でもサードプレイス的なとこでもなんでもいいけど。
場や人じゃなくても自分で安心をつくれるのでもいいけど。
安心感を得られるか、ってところがほんとポイントだと思う。
何かをもっているとか、何かを得られるとかの、安心のイメージとか安心ぽい形ではなくて、安心の感覚があるかどうか、安心を感じられているかどうか。
自分の中に安心がある感じとか、安心への確信みたいなものがあるか。
アドバイスとかサポートとかそういう具体的な解決に向かうための何かはいらなくて。
それはそれであってもいいけど、そこは重要ではないし、それとは安心の質が違うと思う。
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安心感を認識できたら、体感というか感じ方とかが一気に変わったことがあって、余計に感覚としての安心が大事だと思っている。
それまでふわふわ不安定にいた感じが、安定した場所に片足ついたような、ちょっと落ち着く感じにひっぱられた感覚だったと思う。
ただそれだけで、その感覚の前後で、似たようなことへの感じ方も変わったような気がしている。
安心感が、人によってどう感じるかどんなことに感じるかはそれぞれ違うのだと思うけど。
何か大きなものでなく、日常のささいなことから感じたりすると思う。
たとえば、くだらないやりとりで笑える、ゆるむ感じとか。
しっくりおさまる場所があると思える、落ち着く感じとか。
なんかのときに感じる、わけもなく、大丈夫って思える感じ。
何かの条件とか状況とかによるのでなく、気づくきっかけはあるかもしれないけど、ふとそこにその感覚があるようになる感じ。
私の場合、何か問題が起こらないようにできるから大丈夫というよりは、何か起こっても失敗してもなんとかなるって思えるような、失敗しても笑い飛ばしたりしてくれそうな関係性の方が、大丈夫感が大きい気がする。
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個人的には、自分で安心をつくれるのが強いと思っているし、だからマインドフルネスとかボディケアとかいやしグッズとか、落ち着いたり感覚を取り戻すためのものって好きなんだけど。
でも、人とのつながりから得られる安心って、パワフルだなぁとも思う。
1人でだとこつこつと積み重ねて徐々にふくらませられるものが、一気にがつんとくるような。
自分でつくれる安心感とはちょっと違う気もするし、どっちも持てるといいなと思う。
だから、やっぱり、安心をつくれる場はつくりたいし、持っていたいな。
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