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切り取ろうとすると見えるようになる。

写真を撮るのとか、メモしたりらくがきしたりとか、絵を描くのとか、昔からそういう、好きなものを記録するようなことが好きだ。
特に、きれいだなぁとか残したいなぁと思うものを、自分の思うように撮ったり描いたり書いたりするのが好きだと思う。

きれいなものを、こんな風にきれいだったなと、残しておきたいし。
おもしろいことを、こんな風におもしろかったんだよなって覚えておきたいし。

でも、そういう、きれいだったとかおもしろかったとか感じたその対象を残したいようでいて、それも残してはおきたいけど、ほんとに残しておきたいのは、その何かをきれいだと思ったりおもしろいと思ったりする気持ちかもなぁと思う。
そういう気持ちを残しておくために、思い出したいために、そのときどきの瞬間を残しておきたくなる気がする。

そんな、何かを残しておくために、何かを思い出すために、その瞬間をおいておきたいと思うのだけど。
何かを残しておきたいっていう楽しみは、残しておくそのものではなくて、残しておこうとすることで見えるものが増えることだと思う。

子供たちが小さかった頃、最初はほんとにただ育てるために何かと思って育児記録をつけていただけなのだけど、育児日記を書くと思ったら、ほんとにめちゃくちゃささいな日々のことを、意識して見るようになった。
めっちゃ小さな頃って、1日1日何かできることが違ったりして、動きがほんの少し変わったり、食べられるものとか食べ方とかがほんの少し変わったりとかするじゃない?
記録しようと思ったら、ほんとにめちゃくちゃ少しの差が見えるようになったし、絵日記で残そうと思ったらほんとささいなおもしろい動きとか言葉とかがおもしろく記憶に残るようになったし、日々のしんどい中でネタっぽいおもしろい言動や表情の記憶が大きく残るようになった。

デジイチにはまってたときは、アップで切り取れる瞬間、すばやく切り取れる瞬間を、どれだけ撮りたいその瞬間にフォーカスできるかと、めちゃくちゃ真剣に一瞬一瞬を見ていたし。
トイカメラを持ち歩いていたときは、どう撮れるかわからないからこその、撮ったらおもしろいかもしれない、そのとき目にしていて好きな風景を、ささいなことでも切り取ろうとしていたし。
ミラーレスでいろんなレンズ持っていたときは、魚眼とかレトロな感じとかでこんなの撮れたらおもしろくなるかな?ってあちこちをいろんな角度で見ていたと思う。

絵を描こうとしても、文章にしようとしても、ふと気づいたこの部分を残しておきたいなぁとか思ってしまうし。
今見聞きしているこの風景を、どこをどう切り取るとおもしろいだろうとか、考えてしまう。

そんな風に見ていると、見る範囲や角度が増えていると思うし、見ている解像度があがると思うし、見聞きしているものが印象に残ることが増えると思う。

写真を撮ろう、絵を描こう、記録しようとすると、そうやって意識して見るようになるから、同じものを見ていても、きれいなものとかおもしろいものがたくさん見つかるようになって、楽しくなると思う。

きれいなものを撮りたいから撮るんだけど、撮ることでますますきれいなものが見れるようになる。
だから飽きずに撮りたくて見つけたくて、撮りはじめたら撮り続けてしまうんだろうなと思う。

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