安心感の中にいられるように。
この前、出かけたときに写真を撮っていて。
花とか葉っぱとか水滴とか、目で見てきれいに見えたものを、そのきれいなように撮りたくて、でもなかなか思うようには撮れなくて、苦戦しつつ夢中になっていたら、多分結構時間が立っていた。
ふと我にかえって、しまった!時間もまわりも全然気にしてなかったな、と反省したのだけど、ちょっとびっくりもした。
まわりも見えなくなるくらいに目の前のことに集中できるっていうような状態にはなかなかなれないし、特に大人になってからは多分ひとりでいるときでないときにそんな風になった記憶がない。
あとから思い出して、それはすごい素の状態だったんだな、と、子供っぽい部分全開だったな、と思う。
めちゃくちゃ安心してゆるんでたんだろうと思う。
その、目の前のやりたいこと以外、すっかり意識から外れてしまうような、そういう状態になっていられるっていうのが、私にとっての「安心安全」な場所なんだなぁと思った。
そして、そこが安心安全かどうかも意識しないままに自分の世界に入っていられるのが、安心感の中にいるってことなんだろうと思った。
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私はまぁまぁいつもマイペースだとは思うし、特に写真撮りたくなるときはかなりマイペースになりまくると思う。
歩いているときに好きな風景が目に入ったらとりあえず撮るから、誰かと歩いていてもすぐ遅れてしまう。
遅刻ぎりぎりとか電車の時間ぎりぎりなのに空きれい!って撮ってて遅れそうになるとかもよくある。
似たような感じになるのは、本とかまんがとか読んでるときとか、描いているときとか、絵本展とかにいるときかな。
多分人から見たらすごいマイペースで自由にしてるように見えるかもしれないけど、それでも一応相手やまわりを見ながら、マイペースでいて大丈夫そうか、どれくらいマイペースでいていいか、様子見ているつもりだし、意識が戻ってこれるように外れ切らないようにしているつもり。
描いているときとかは、集中してるねって言われることもあるけども、人といるときには声かけられて気づく程度にしか集中していないと思う。
本とかまんがとかも、展示など見ていても、人がいるならほんのり気にするようにしていて、没頭し切っていないはず。
それでも、集中してるって言われたり、様子見つつも人に合わせないで好きなようにしていられるときは、相当そこが安心安全だと信じていて、その程度が許されそうだと信じているとき。
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そういう時間が増やせたらいいなと思う。
写真を撮るのとか描くのとか読むのとかを思いっきり夢中になってやりたいというのではなくて(それはそれでやりたいんだけど)、夢中になっても大丈夫、という安心感がほしいのだ。
何かに夢中になれる、というのが、私の中では、自分のペースでいられるっていうことの象徴で、それは自分らしくいるのとつながっているのだと思う。
安心感の中にいれるように、整えていきたいな。
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