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社会的に認めらる選択を与えてもらっていた

一言「占い師」と名乗るのに、占いの手法を一つ増やすことに、時間がかかり熟慮した。会社を辞めてから2年もかかった。今までは、大きな流れの決断のきっかけを、“信頼する誰か”が差し出してくれてたからだ。

全て自分で選択してきたけれど、
本当の意味で自分で選んでいなかったのだろうなと。

大学は早稲田。
高校3年生になり、成績が落ちている私を見て友人がアドバイスをくれた。

「指定校推薦で受験した方がいい」

後押ししてくれた担任、東京私大を許してくれた両親。おかげで、実力ではE判定しか取れない大学に進学することが叶った。

就職はリクルート。
なんら取り柄もない自分にまた友人がアドバイスをくれた。

「人を見る目はある!だから人材業界がいい」

急いで就活をはじめ、ほぼ人材系の会社を受けた結果、リクルートに入社することが叶った。


結婚。唯一自分でもぎとった成果。
夫。人柄も経歴も、誰もが祝福し喜んでくれた相手。



私は社会的な目を気にしてない。社会的な目を気にして選択してない。


違ったんだよ。信頼する誰かが差し出してくれた選択肢は、すでに社会的安心や保証のついた選択肢だった。

「占い師」
職業欄にもない。noteやスタエフのジャンルの一つにすら取り上げられない枠。すばらしい占い師さんも沢山いる。私が受けてきた方々も、ほとんどすばらしき人たちだった。

緻密な読み解きは私には無理。
霊感も直感も乏しいから私にはできない。
占い師とは名乗れない。

それだけじゃなかったんだなぁ。


社会の目や、社会的安心、社会で活躍する人たちの目を気にしていたから名乗れなかったんだなと。やっと初めて何ら気にせず名乗ることができている。

社会の目も気にしない、他人の目も気にしない。そういられるのは、隣で夫が応援してくれるから。信頼する誰かは夫だった。サンキュー。




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