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台風19号と父。そして私は父に「役立たず」の烙印をおした

「台風直撃なんだからバドミントンの試合中止だって!行くの危ないから、やめておきな」

家族が猛反対する中、父は暴風の中を運転し、仲間と共にバドミントンの試合会場へ向かった。趣味が高じて選手だった父。200キロの道のりを運転し南に走る。

『父は役立たず』

この日を境に思うようになった。史上最大レベルと言われる台風19号が向かっていた、当時8歳。

翌日は遠足。祖母が大量にご飯を炊いて、おにぎりを作ってくれた。お菓子の準備も万端。母も17時頃帰宅しただろうか。詳細な記憶は残っていないけれど象徴的な一夜。

「ガガガガシャン、パリン、ゴーーーーー」

突然の出来事。まだ台風は最接近していない夕方。にも関わらず、ガラスが割れた。南向きの玄関窓と、北側にある居間のでかい窓ガラスが同時に。

私は居間の窓ガラスのそばに、祖母とふたりで座っていた。爆音に驚き外を見ると窓が無くなり、吹きっさらし。

どんな心境だったかも覚えてない。
ただ、窓ガラスが家の中に倒れず、なぜか外向きに倒れてくれたおかげで命拾いできたことだけは分かった。そしてなぜか、南向きの玄関のガラスも外向きに割れて散っていた。

夜にかけて暴風はより酷くなり、南から北へ吹きっさらしの家中。早々に停電。唯一、雨戸のあった祖母の部屋へ家族5人(父はいない)で避難。下の弟は1歳半だったようだが、存在さえ覚えておらず、上の弟とおにぎりを食べて、ろうそくの中で過ごした。


30年以上前の台風19号。暴風系の大型台風。

九州の西側の進路をとって北上した為、勢力が弱まることなく実家のある九州北部へ進行した。

携帯もない時代。父とは全く連絡のつきようがない。しかも、被害が甚大な南に走って向かったのだから、祖母(父側)と母は心配で仕方なかっただろう。しかし二人の口を次いで出ていたのは

「もう!なんでこんな日に限っていないの。心配かけて!ホント役に立たないんだから!」

ロウソクの灯る暗闇での会話は、明日の遠足の実施の有無と、父への非難ばかりだった。築50年の木造住宅。まじで崩壊するかもしれないなと思うほどの音。だって、家の中吹きっさらしで、風が吹き荒れてるからね。

恐怖かどうかは分からなかった。好奇心の方が勝っていたのかも。

21時頃、ピタッと風がやむ。全くの無風。台風の目が通っているから。近所の人たちの声。みな、外に出て様子を確認しているようだ。

瓦が飛んで車を直撃していたり、窓が割れていたり。唯一明かりのあったお家は、自家発電の備えをしていたよう。家が立派かどうかより、電気の備えをしてるのは素晴らしい!と近所のおじちゃんおばちゃんたちが、しきりに讃えていた。

30年以上前なのに、今でもはっきり覚えている景色や話題。台風の目の中にいる自分たち。今まで暴風だったとは思えぬほど静寂。不気味な雲とシンと静まり返る夜空。

ものの数十分もしないうちに風が吹き始める。吹き戻しだ。吹き戻しの風も強かったが、もう眠くて仕方なく気づいたら朝だった。


そして学校と父から連絡。
休校。試合中止。

だろうよ。

無事で良かった、と胸をなでおろす以上に「もう役に立たないんだから!」は連発されていた。まぁ事実だな。

それから一週間は自衛隊の方のおかげで水に困ることなく凌げた。母は翌日から家のことに仕事に忙殺されていた。


外から吹き付ける突風。普通であれば家中に飛び散りそうだが、外に倒れてくれた窓ガラスで命拾いし、無風の台風の目で見上げた夜空。

大黒柱不在。


今、まさに迫っている台風14号。いつもは大して台風を気にしてない実家も、今回の台風は脅威だと。台風19号の規模、そして似たようなコース。30年前より情報が多くて、詳細に分かりすぎることに怖さを感じる。と母から電話があった。

「お父さんは?」
「今回は仕事~(笑)」

一度役に立たない称号を得ると、いつも役に立たないと思われてしまう父。100万馬力で働いてる母と並んでしまうと仕方ない。どんまいだ。

2.3年前にやっと、父は役立たずではない。
と父への感謝が湧いてきたのだが、『役立たず』の烙印は、8歳の台風19号の日に押したなと。父、すまぬよ。


兎にも角にも、早く勢力が落ちてスピードが上がって台風が抜けてくれること。できる限り被害が少ないことを心から祈るばかりです。








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