他人の目を気にしないなら、育児はもっと気楽で楽しいのだろうか
実家に帰省した数日で、何度か泣いた。悲しくて。1年前にも同じようなことで泣いてたなと思い出したのは、Googleフォトで思い出写真が出てきたから。
2歳の娘は、自他ともに認めるパパっこ。
朝は「おはよう」の挨拶もなく「パパは?」から始まり、ママと寝るとなると、「せっかくパパいたのに‥」と悲しみを露わにする。
夫曰く、ママがいない時は「ママー」と寂しがってると言うが、娘といる時間が長い私は「パパは攻撃」を長時間受ける。そして二人とも揃っている時は、200%パパのところにいくのである。パパっこが故、楽なことは沢山ある。特に、パパと遊んでる間に家事を全部終えられるのは楽だし、早朝から二人で散歩とかにも行ってて微笑ましい。夫も「一人になれなくてしんどい」から、私が羨ましいそうだ。
そう、家族三人でいる時は寂しいなと思えど、同じほど“メリット”も感じられるので、気にせずいられる。
それが両家の実家へ帰省した時は別。
先日、実家に帰省しアフリカンサファリへ行った。(楽し気な様子を描いた記事はこちら↓↓)
はしゃいだジャングルバスに乗る前に、私はひと泣き終えている。ランチを終え、トイレに行ってお昼寝をしようとなった時。
娘とトイレに向かう。オムツを脱がせて着替えさせようとした瞬間・・・
大魔神娘が覚醒する。
「パパが良かったのに」
「パパにオムツかえてほしかった」
泣きだし、叫びだし、私の髪の毛を掴み、これでもかというほど叩く。
「ママきらいー」「パパがいいー」
トイレ中に響き渡る声、地響きがしそう。
“虐待じゃないですよ・・・”って、誰もいないのに、誰かに言い訳をしたくなる自分。どうにかオムツを履かせようとしても、オムツもズボンも振り回しどうしようもできない。
「オムツはかずに、パパのところいく?」と言うと「やだ、パパがいい」のエンドレス。
「ママだってパパに変わって欲しいよ」と言っても仕方ないことを娘に呟いていると、母がやってきた。
「外まで叫び声すごいよー!パパいるよー。○ちゃん、出てくるー?」笑いながら母は言う。傍から見たら笑えるだろうが、トイレにいる二人は全く笑えない。
どう諫めたのかも覚えてないが、無事ズボンを履いて外に出て、パパのもとに走り出す娘を見て、涙をこらえるので必死だった。
帰省中、何度か似たようなことがあったけれど、サファリのトイレ事件はパンチが効いていて一発KOだった。思い出すだけで、何度か涙が出てしまう。隣にいる夫は終始無言。気の利いたことを言えんのだろうかと思いながら“うかつに言葉を発しない夫”らしい振る舞いだ。
堪えきれず「悲しくてツラい」そう夫に言うと、「やってる量が多いから、当たられる率も量も多くなるよね」と。
熟考された言葉をひとこと。
ママ目線の言葉だ。
因みにね、ママキライかもしれんが、平日ママはほぼワンオペなんです。少しは頑張ってるはずなんだけどなとの思いも、今回みたいな光景があると、「やっぱり夫君はよく面倒見てるから!」となって、「えっ、わたしは?」ってなることが多々。二人の時は「ママだいしゅきー」なんだけど、たくさん人がいると最下位になる私。悲しみが深い。
実家での出来事だからまぁいい。家族の誰もが『まきは子供苦手、どうにか母業やってる』を全員認識している。夫君素晴らしいで、円満に過ごせるわけだし。
でもね、義実家での出来事だったら、辛さが何倍にもなる。居場所も立場もない。実際、1年前に似たようなことが起きて、いてもたってもいられず、外に出て、涙が落ちないように空を見上げて泣いたよね(笑)
と、感情のままに書いてみて。
私はどうしても『人の目』が気になって、他人の目に感情がひっぱられやすい。
家族3人だけだったら、ずっと夫にべったりでも“ラッキー”くらいだろうし、泣き叫ばれても、もっと冷静に「パパがいいよね、うん、すぐいこう~」と言えてるような気がする。もちろん、寂しいけど。
誰か。特に知ってる人。評価されちゃうんじゃないかと思う相手(基本、義家族)がいると、娘が変化するより私の意識が『他人を気にするモード』になっている気がする。
別に誰かが評価してるわけでもなければ、ジャッジしてるのを実際聞くわけでもない。毎日ちゃんと過ごせてる。ただそれだけでいいのにね。自信もてるくらいやってるんだから。
気にする必要ないと分かってるんだけどなー、気にしちゃう。
ふだん、比較的気楽に楽しくできてる育児。
そんな育児ができるように今の環境を選んでいるんだろう。
しかし何というか、娘のおかげで日々学び。
ぐっちゃぐちゃの感情になりつつも、悲しみとは真反対に可愛い・嬉しいにも感情が触れるのも、これまた娘のおかげ。
明日は七五三。今日とは真反対の想いを綴ろう。
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