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どうして「好き」より「すごい」を選んでしまうのか
自分の「好き」を大事にして選ぼう
「好き」という感情を優先しよう
と周囲でもよく聞くし、人にそう伝えてる。
にも関わらずだ。結構「スゴイ」を優先してる自分に遭遇する。
スゴイ=性能や能力の高さ・有益さ。旧型な判断軸での選択だ。
好きの感情 < 能力・有益さ
感情軸と能力軸と判断軸が違っての選択かと思ったがどうや違いそうだ。
どちらも『感情』で選んでるなと。
ここ最近、noteやTwitterで交流をしたいと色んな方の作品をポチポチ読みはじめて感動してる。noteに投稿された作品の魅惑よ。エッセイも日記も、哲学的なものもノウハウも、「みんな天才じゃね?!」と唸りながら読んでる。素晴らしいクリエーターさんたちの宝庫。
相変わらずコメントはできてないが(苦笑)
好きなテイストの作品!!と興奮する場合と
めっちゃ有益、すごい!!と唸る場合があるんだけど
後者は注意しないといけない。
有益ですごさを感じてるのは事実だが、それ以上に自分の「劣等感」を刺激されてる可能性がある。
好きとスゴイは、再頻出ワードTOP5で、いつも大雑把に使ってる言葉だから、言葉を精査できてないってのもある。
①すごい>>>>>>好き
②すごい>好き
能力的劣等感を感じやすいので「すごい」が先に来ることは認めて、②を追い求めるのだ、私よ。
どなたかをフォローし交流する時も、何らか講座やセッションを受ける時も、「この人すごいから受けよう」はストップ。
自分の中の劣等感がうずいて、不足した心をその相手に穴埋めてもらおうとしてるからかもしれないから。
不足した心で相手と接したら、自分を満たしたくて、何かを奪うことになるから。
ダメダメ、長きに渡っていい関係性が築けないよ。
途中で窮屈になったり、自分の良さが出せなかったりするし、と昨年受けたコンサルがまさに「スゴイ方」と思って受けてみて、全然楽しくなくて死んでたなということを思い出しちゃった。
すごい人には影響を受けすぎちゃうから、いいねしてそっと閉じる。見すぎない。
能力や性能、メリットデメリットで選んでだとしても、それを選択する理由は何らかの感情の可能性が高い。
それほど感情に支配されている。
だったら、好きに敏感になろう。
凄くて好きな人を探す旅。ポチっとポチっと。
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