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心の奥底に眠ってたジャイアン。表面ににじみ出てるジャイアニズム。

「おまえのものは俺様のもの、俺様のものは俺様のもの」
あまりに有名なジャイアニズム。

2歳の娘を見ていると、たびたびジャイアンに見える。我が娘だから可愛いけどさ。

数年間ジャイアンを満喫したら、卒業してくれることを願う母。そのまま大きくなるとイジメられちゃうよと心配になるのは、自分の過去を振り返ってね。

どんな表情やねん

娘と自分を重ねることはしたくない。
同じ遺伝子あるだろうけど、別人格な人間だから。

とはいえ、2歳児の記憶は皆無なので「自分もビビりでジャイアンだったんだろうな」と重ねてしまう。

人生を振り返るのが趣味なのかというほど、何かと人生の振り返りをしてる。どんだけ自分好きやねん!とツッコミを入れながらも、毎度新たな発見があるから止められない。

しっかり振り返ると『人生の軸』みたいなものが見えてくる。で、もっかいしっかり振り返ると、その人生の軸はひっくり返る。その繰り返し。

アイデンティティクライシス発生。


直近1年半、コミュニティを作らせてもらったり、自分で講座や企画を作ったり、色んな人の講座にも参加したり積極的に活動してきた。娘も育てやすいし、会社員も辞めて余裕もあった。


“みんなのため・フラットな場づくり・一人一人が主役”と事あることに発して。

だからこそ、“自分勝手すぎる・上から目線・崇拝・依存的関係性・自分だけが主役”と感じる人に、めっちゃイライラしやすい。

最初はね『一人一人が主役のフラットな場』の信念に反してるから苛立つんだと思ってたけど、すぐ違うと分かった。

私の中にも“自分勝手すぎ、上から目線、崇拝的な関係性、特別感が欲しい”みたいな感覚が少なからずあったんだなと。そんな自分を受け入れてないから、人に対して苛立ってしまう。

私、ジャイアンなんよね。



人生を振り返る時、ついイジメられてた思春期が主役になることが多いけど、5歳児の私はマジで威張ってた。幼馴染が送ってくれた昔の写真を見て引いたもんね。3人並んで映ってるはずなのに、真ん中に立って、なぜか2人より一歩前に出てる。フンって。

いやー、これ絶対思春期になったらイジメられる奴やんて分かるもん。

私が一番。私は大将。
私は正しい。
私は何でもできる。

まえまきジャイアン

こんなとこだろう。
10歳頃から、伸びきった鼻っ柱を折られて、だんだん自信を無くし、“私はジャイアン”だと人から嫌われることを悟り、“円滑に人間関係を運ぶ術”へ大きく方向転換をしていった人生。

協調性、思いやりを持ち、人の上に立とうとしないとかね。

でも滲み出ちゃう。ろくに協調性も思いやりも持ってないし、人から頼まれたらリーダーをやる学生時代。

リクルートに入社すると、率先してリーダーなろうとする人が大量にいて、目立とうとする人たちも、目立とうとしなくても目立つような優秀な人たちばかりで。

「鶏口になる必要はない、優秀な集団の牛後でいたい」

に変わった。そう信じて15年働いた。
人間関係を円滑に運ぶ術をもって生き始めたら、生きる世界はとても温かになった。

でも会社を辞めて積極的に活動して気づく。

「わたし、牛後は嫌だ。ジャイアンがいい」

できるできないじゃない。
私は一番がいい。

“今時一番って何?ダサすぎるやろ”
と何度もツッコむが、これ私なり。

ダサくてもいい。私は一番がいい。

鼻をへし折られたころの自分に、もう何度かもう少しだけ寄り添ってあげれば、次に進める気がするんだよね。


人と会いづらかった2年。
たくさんの新しい出会いがあって、そのおかげで、ジャイアンな自分を思い出せた。

ジャイアン娘を見ても、思い出せた。

noteで出会うたくさんの素敵な作品を読んで、一番になりたいとか、虚栄心とか恥ずかしいけど、“まっいっか”とも思えるようになった。

反発してきたことが多くて、大きくて、あと何回吐き出したら次いけるかな。

こんな自分でいられるの、けっこー好き。








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