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平和より平穏

何だか重苦しい気持ちでnoteを書こうとしていたら、目に留まったのはまっ子さんの記事。一人で読むからこそ笑えるけれど、誰かがいたら笑いづらい内容ばかり。朝から今回も爆笑した。もっと爆笑したいけれど、まっ子さんは稀にしか登場しない。残念極まりないが稀だからこその価値かもしれない。


昨日、こんな記事を書いた↓↓

平和について書いているが、伝えたかったのは沼ってるウリアにハマってる本音。

平和をテーマに何かを書こうとすると、すごく重苦しい雰囲気になる。
スタエフでしゃべったら大丈夫かなと思ったけれど結構重めになった。珍しく色んな所でスキして~!と発したものの反応はすこぶる悪かった(笑)


少し前に夫と話していたことがある。

「平和、とりわけ世界平和や人類平和を口にするのは気が引けるし、怖い気がする」と伝えると


「世界平和や人類平和という単語になった時点で、何かしら固有の思想に感じられそうだもんね。偏った思想を持った人に思われるんじゃない?!」と言われた。



確かにねーと思いながら、街中で見かける世界平和をうたった看板や、特定の宗教法人を思い浮かべた。

昔から使われている言葉、定義があいまいな言葉、宗教の中で使われやすい言葉は、手垢にまみれてるものが多い。純粋に悲しいなという平凡な思いが湧き上がってくる。



「じゃあ、どんな風に伝えるのがいいかな」

「平穏がいいんじゃない」

夫からのアドバイスは平和ではなく平穏。



「まきの場合は、しゃべってると軽い雰囲気だし平和を使いたかったらそれでもいいんじゃない」と言われたけれど、平和を語ろうとする口調は、文字でも会話でも重苦しかったので、平和を必要とする時は平穏を使おうかしら。と夫からのアドバイスを心にとめてみた。



前の自分だったらさ
「いや、私は絶対平和という言葉を使いたい!」と躍起になっていたけれど、それより広めたいものがあるから、重苦しくなりそうなものは一旦やめやめ。


ただなんというか、心の奥底にある価値観を誰かに共感してもらいたいって思いがあったんだなぁという発見。


今朝はまっ子さんに平穏をいただいた。
平穏と程遠いパワーワードが連発していたが、重苦しさとパワーワードのシャッフルで、「平穏」がおとずれた。

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