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星をめぐる物語

幻冬舎宛にいただいたお手紙のなかに、お守りを入れてくださった方がいた。長野の北向観音のもので、北斗七星と星雲が散りばめられたデザインだ。調べてみると、北向観音はその名の通り、寺社にしては珍しい北向きだという。善光寺が南向きで未来往生を、北向観音が北向きで現世利益を願うからという説、ほか「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」というお告げによる、という説もあるようだ。星占いを生業とする者にとってはなんとも嬉しく、今年は今まで以上に占いの勉強に力を入れようとしていたところでもあり、激励された気分にもなっている。本当に、ありがとうございます。

北向観音

星といえばいろいろな文学作品に描かれるモチーフである。北斗七星にあやかって、特に好きな作品を7つ挙げてみたい。まず思い浮かぶのは三浦しをん『きみはポラリス』(新潮社)のなかに収録されている「冬の一等星」だ。誰にも理解されず「変わった子」として片付けられる孤独な8歳の少女に、伝わることはある、人生は信ずるに値するものだと希望を与えたものは誘拐犯と一等星だった。おそらくは犯罪に手を染めて御用となりつつあるメチャクチャな男が、注意深く少女を昏がりから遠ざけて夜空に細い線をつなぐ様子は、何度読んでも目頭が熱くなってしまう。希望をなくすと、人は死んでしまうから。息をして動いているだけが、生きるということではないから。三浦しをんは実にさり気なく星を印象的に使う人で、『天国旅行』では「星くずドライブ」という作品も書いている。同書では「森の奥」が好きだ。デネブ、ベガ、アルタイル――生と死のはざまで男ふたりが数える、夏の大三角形。

文学で最も星をよく描いた人といえば宮沢賢治が思い浮かぶ。『銀河鉄道の夜』は言うまでもなく、「烏の北斗七星」に「双子の星」と、当時最新とされた天文学の知識に裏付けられた星たちが作品を思い思いに照らしている。なかでも印象的なのは「よだかの星」だ。初めて読んだのは陰湿ないじめに悩んでいた小学生の頃。鳥たちからはいじめ抜かれ、星たちからは邪険に門前払いをくらい、まるで自殺をするようにして星になる。なんて救いのない話なのだろうと絶望したことをよく覚えている。しかし大人になってから読み返すに、よだかの強さに惹かれるようになった。境遇は実にひどいものでありながら、彼は決して自分の人生の舵から手を離そうとしないのだ。アイデンティティを否定されても受け入れることはしない。もうここにはいられないと思ったら新しい場を探す。他者に助けを求めてみる。誰も助けてくれない絶望に打ちひしがれながらも、自力でなりたいものになろうとするのだ。燃え続ける星というのは、現世で生きられなかった魂が空でその思いを遂げたということではなく、彼の折れることなき魂なのだ。道原かつみの手による『銀河英雄伝説』の「人は自分だけの星をつかむべきなんだ。たとえそれがどのような星であっても」という一文も連想される。

作家の浅田次郎は、星を見ながら口笛を吹く癖があるのだという。一家離散の憂き目に遭い、現実が覆ることを星に願った。そこから自分以外に恃むべき人も神もいないのだと悟り、みずからの尊厳を宇宙に向かって主張するために口笛を吹くようになったという。「願わずに誓い続けて歩めば、星を見失うことはない」と、エッセイ集『ま、いっか。』で語っている。星を見て口笛を吹いていた孤独な少年はのちに小説家となり『蒼穹の昴』という作品を書くに至った。

同じように星を眺めることに、人生を重ねて読んでしまうのがサン・テグジュペリ『星の王子さま』だ。たとえば誰かを愛したとき「だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花がすきだったら、その人は、そのたくさんの星をながめるだけで、しあわせになれるんだ」というセリフを、思い出す。誰かの心にある愛ややさしさを知ったとき、人と接するのも悪くないのだと思えたりする、そんなときに。

星を見上げる、という意味合いで印象的なのがオスカー・ワイルドの『サロメ・ウィンダミア卿婦人の扇』に収録されている「ウィンダミア卿婦人の扇」に出てくるセリフである。新潮文庫版は実は違う訳なのだが、ここは敢えて好きな訳で紹介させていただきたい。「俺たちはみんなドブのなかにいる。でもそこから星を見上げている奴だっているんだ」思うにまかせない環境にいたって、できることはある。

さて、ここまで美しく光る星の話を7つつないできた。

ぐるりと視点を変えてくれるのが『食器と食パンとペン』に収録された田中ましろの「近づけば光らない石だとしても星 それぞれに夢を見ている」という短歌だ。宇宙から見れば輝く地球も、そこに立ってみればごつごつした岩山ばかりが広がっていたり、アスファルトに覆われた都市だったりする。それでも、実際は輝いているのだよね。そして憧れ見上げる遠い星々も、近づけば光らない石だったり、ガスだったり、氷の塊だったりするのだ。この視点の転換は、何かを目指すうえでとても大切なことだと思う。現実は現実だから。いくら手をのばしても届かない星と違って、両足で踏みしめて前を見て、歩いていかなくてはいけないから。

あんなに叶えたいと切望していたことなのに、いざ現実のものになってみるとつまらなく思えてしまう。あんなに愛していたはずなのに、人生を間違えたのだろうかと思ってしまう。ふとむなしくなって遠い星を求めたくなってしまうようなとき、何もかも捨てて「ここではないどこか」へ行ってしまいたいと願うとき、自身が星となったよだかを思い出してみるといいのかもしれない。あかあかと輝いて見えるのは、自分の人生を生きたからであると。そんなふうに星に思いを馳せてみる、今日この頃である。

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