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自堕落

身を持ち崩してだらしないこと

「自堕落に生きていたと言ってくれ」85歳の父が言った言葉である。

父は決して自堕落に生きてきた人ではない。コツコツ働き、家を買い、2人の娘を中学から私立に行かせ、子会社に出向し、その社長も勤め上げた人である。冒頭の発言は父がふたつ上の兄の葬儀から帰ってきてからのことだった。父の兄、つまり私の伯父は高校の体育教師として勤め、退職してからは趣味のスキーを楽しみ、地域の子どもたちにハンドボールを教えたり、家庭菜園をつくり、墨絵や彫刻までするなど充実した老後を送っていたらしい。なのに認知症になり最後は誰が誰かもわからなくなってしまったらしい。

私の父は地域に生きるわけでなく、誰かの役に立つボランティアなどにも参加していない。私が実家に行くとテレビの前に座り芸能人が麻雀をしている番組を見ている。運動も散歩程度である。読書はしているが、サークルに入っているわけでもないので他人との積極的コミュニケーションはない。でも85歳という年齢で病院のお世話にもなっていない。両親2人で自立して暮らしていて本当に有難い父である。でも父としてはあんなに活動的だった兄が最期は誰が誰かもわからずに亡くなったことがショックだったのだ。だから自堕落なんてことを。


娘としては父の生き様はまさに昭和の男性、コツコツと地道に歩んできたのだと思っている。子煩悩というわけではなかったが、自分がされたことのない愛情表現はできなかったのだろうと思っている。子ども時代は戦争真っ只中だから、いたしかたない。
それでも表現されなくても、愛情を持って育ててくれたし、今なおそれは変わらないと感じている。だから自堕落なんて言ってほしくない。


趣味がなくてもテレビの前で1日過ごしていても、何十年も家族のために働いてきたのだから、無理にやらなくていいと思う。頑張ってきたご褒美、好きなように。


父の気持ちを考えてせつなくなった、長く生きるって難しい。


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