【第5回】福澤諭吉 『現代語訳福翁自伝』 齋藤孝 訳
福澤諭吉の「福翁自伝」は、岩波文庫、角川ソフィア文庫、講談社学術文庫などさまざまな出版社から発行されているところですが、ビギナー向けとしては、ちくま新書は齋藤孝氏による現代語訳が読みやすいのではないでしょうか。
近代日本最大の啓蒙思想家・福澤諭吉の自伝と言えば、高い精神性や学問に対する探究心などについての格言が多そうで、言い方を変えるとちょっと敷居が高そうな感じ。
しかしながら齋藤孝氏による現代語訳のこのエッセイは、読みやすい現代的な文章で、福澤の豊かな人間性を知ることができる良本です。
しかもこの中では、幼少時代から適塾時代、渡米・渡欧の旅行譚、そして明治維新など、幕末維新期の時代を突き抜けていきますので、福澤ならではのユニークな視点からこの時代の空気を堪能できる、日本史のクロニクルとしても最適な書なのです。
ここでは幕末維新期を知るという視点でもって、読んでみるのはいかがでしょうか。
福澤諭吉年譜
まずは福澤がその生涯でどんなターニングポイントを迎えていたか、年譜でもってまとめてみます。
■天保5年(1834年) 大阪に生まれる
■天保7年(1836年) 父を亡くす
■嘉永6年(1853年) 20歳 (ペリー浦賀に来航)
■安政1年(1854年) 蘭学を志して長崎に出る (日米和親条約締結)
■安政2年(1855年) 長崎を去り、大坂にて緒方洪庵の門に入る(安政の大地震)
■安政3年(1856年) 兄死す。福澤家を継ぐ。23歳
■安政4年(1857年) 適塾塾長となる
■安政5年(1858年) 江戸に出る。築地に蘭学塾を開く(安政の大獄)
■安政6年(1859年) 英学を志す
■万延1年(1860年) 咸臨丸にて渡米。帰国後、幕府翻訳方に就く(桜田門外の変)
■文久1年(1861年) 結婚
■文久2年(1862年) 遣欧使節の一行に加わり渡欧(生麦事件)
■文久3年(1863年) 緒方洪庵死去。長男誕生
■慶応2年(1866年) 『西洋事情』(初編)を著す(徳川慶喜15代将軍に就任)
■慶応3年(1867年) 二度目の渡米(大政奉還。王政復古)
■明治1年(1868年) 塾の名を慶應義塾とする
■明治5年(1872年) 『学問のすすめ』(初編)を著す
■明治8年(1875年) 『文明論之概略』を著す(江華島事件)
■明治15年(1882年) 時事新報を創刊する
■明治31年(1898年) 『福翁自伝』脱稿。脳溢血を起こす
■明治34年(1901年) 死去。享年68歳
大老の死を異国で知る
興味深いのは、日本の体制を揺るがす大事件が起きたとき、福澤は外国の地にいたというところです。
例えば大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変が起きたとき、彼は米国にいました。
米国にいた彼らは現地の報道により「日本の要人が暗殺された」という不確かな情報を得るのですが、福澤曰く、「聞いたって、聞かなくたってわかるじゃないか。私はまあ雲行きを考えてみて、そんなことではないかと思った」。
日本を出発する前から「どうせ騒動がありそうなことだ、と思っていたから、偶然にもあたったのでまことに面白かった」という彼は、飄々としているのか、いささか不謹慎なのかどうなのか。
幕府権力に対する冷静な視線
帰国後、福澤は幕府の外国方(外務省)に雇われ、外交文書の翻訳の仕事に携わります。
このとき福澤は、幕府に雇われる、つまりエリートになるのですが、それについては冷静な態度。「なかなか英文研究のためになりました」と出世欲はない模様。
この態度は明治維新後も一貫していて、例えば新政府に仕えるよう請われても、「私は自分の仕事をするのみ」とその誘いを断ります。
そもそもの感覚として、傲慢な上士族を軽蔑していたことを告白しています。
新政府の脆弱性も見抜いていた
幕府の官僚の学習態度に彼は内心見切りをつけていたのかな、と思わせられる文ですが、彼は幕府批判と同時に新政府についてもはっきりと述べています。
上野戦争(慶応4年(1868年)の戊辰戦争の主戦闘の一つ)時においては、同じ緒方洪庵の適塾で塾頭をつとめた大村益次郎が新政府軍を指揮し旧幕府軍と戦っている一方で、騒動の振動が伝わる新銭座の慶應義塾で「世の中にいかなる騒動があっても休業しない。この塾のある限り大日本は世界の文明国だ」と少年を鼓舞して教授を続けたという福澤。
なんとも印象深いエピソードですが、この通り福澤は自身の信念をもって政治的な中立の態度を保ちつつ、日本の教育のレベルアップを目指し塾の運営に邁進していたことがわかります。
借金はしない?金言・格言がたくさん
福澤の幕府や新政府に対するちょっと辛口な態度を紹介してみましたが、この福翁自伝では、ユーモアたっぷりに彼の生涯を振り返り、その人間性や高い精神性が垣間見られるエピソードが多数紹介されています。
たとえば彼は「借金はけっしてしない」と宣言。「文明流の金融法は私の家に入りません」とちょっと自虐を交えながらその理由が紹介されていますが、現代の私たちにとっても腑に落ちる部分を感じ取ることができる気がします。
やさしい言葉ながら、金言・格言がたくさん散りばめられている本自伝。
幕末期を知るという角度でもっても大変興味深いですし、単純に偉人と言われる人物の気さくな自己紹介文としても楽しむことができます。
多くのひとに読まれ続けているのが納得の一作です。
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