あの日の僕(第10話)━ハラマキ

あの日の僕(第10話)━ハラマキ

僕は両親に健康な人と同じように育てられた。基本的には特別扱いはされなかった。そのおかげか、お腹に大きな手術跡があるのも一度として嫌とは思わず年を重ねた。物心がつくともうそれはすでにあったから、それがあるのが僕にとっての普通だ。ずっとこの跡と共に生きてきた。ただ、なんとなく裂けるかも?とお腹を洗っている時に不安になった事はある。縫い目を数えたり、跡の幅を測ったりもした。だけど、みんなが思う以上にそんなにここに興味は持っていない。隠したいとも思わず、見せびらかしたいとも思わない。これが特別だとも考えない。まあ、僕の体の一部であり、生まれてすぐに挑んだ試練の勲章だとは認めている。

体育の授業前の着替えや、プールの時にクラスメイトに最初は驚かれた。その度に「昔手術してもう治った」と簡単に説明をして終わらせてきた。気にしていないから説明も嫌とかないし、面倒でもない。これが僕の日常であり、普通だと考えていたものの、ある程度大きくなってからこういう経験はあまりみんなしていないと知ってもすぐには信じられなかった。病名もそういえばはっきりとは知らされていなかった気がする。大人になってから当時の診察券を見たら、苗字がマキなに「マギ」となっていたり、番号は修正テープで変更されていたのに気づかない親だから無理もない。まあ、そのおかげで僕はそこまで自分の病気について深刻に考える時間が少なくて済んだと思う。

そして僕は時々、体調が悪くなった。
検診を重ねても原因がはっきりしなかったからしんどくなると横になるしかなかった。対応する薬もそりゃあない。体がだるく、全身に力が入りにくくなる。お腹も痛く、冷やさないように努めた。僕は普段から対策として常時ハラマキをつけていた。最初につけていたのは青色のドラえもんのハラマキだ。無地の紺色のものに進化するまで大切に身につけた。友達にはハラマキを身につけているのは恥ずかしくて言えなかった。体調を悪くなるとただ寝るしかなく、極力悪化しないように気をつけていた。しんどい時間なんて楽しくなんかない。

ただじっと、元気になるのを待った。天井を見上げたり、本を読んだり、空想を重ねて時間を忘れるように頑張った。この景色は記憶から消し去りたい位楽しくなかった。「子供の頃、たまにしんどくなった」と一言で説明出来てしまう日々は、一瞬ではない。話しても嬉しくなんかないから僕は聞かれるといつもその一言で話題を終わらせている。今はこうやって終わらせられるのに、あの頃はそう言っても終わりにはならなかった。

能天気な人間でも、さすがに「僕の身体はどうなっているんだろう?」と不安になった。答えが怖くて親には聞けない。ただじっと耐えた。頭の中から不安を出す為に、楽しい物語を空想した。どんなにしんどくても、頭の中は自由だった。

通院時の電車の中、検診を待つ待合室の椅子で座って見る壁、処置室の景色、どんよりとした霧の中にいる僕。その自分に僕は見せたい景色がある。だから、小児病棟の壁に写真や絵をもっと飾りたい!と思って今取り組んでいる。1つずつ実現出来ていけて凄く嬉しい。今闘病を頑張っている子供たちの気持ちが痛い程わかる。霧の中にいる気持ちがわかる。そういう子たちの為に頑張っている。そしてこれは、あの頃の自分に向けてでもある。ありったけのこの想いを写真に込めて展示している。

小児病棟で写真展示をする。

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