資本主義との会話

外資系の保険を売る友人がいる。大学生の頃いちばん長い時間を共にした彼は卒業後、地元の観光バスの会社に就職し数年としないうちに転職、同業界の名が知れた会社でも持ち前のバイタリティで頭角を表した。

観光業の仕事にやりがいを感じていたようだが、給与面にはどうやら満足していないようだった。結婚をしてしばらくした頃だったか、彼は外資系の保険会社に転職した。

奇しくも僕は彼の勤める保険会社の保険をすでに契約をしていたので、彼の営業を受けることはなかったが、東京に出張に出てきた際はうちの狭いアパートに連泊することがよくあった。夜になりお互い仕事を終えると酒を飲みながら、彼はその日の「営業報告」を僕にするのが常だった。業種は違えど、僕も営業マンをしていたので、その「報告」に対して、自分なりにコメントをしたりした。

しかし、環境が変われば人も変わる。僕は神主になり徐々に営業マンとしての色は褪せてきている。一方、彼は生存競争激しい会社に生き残り、全国で表彰されるような成績を上げている。考え方に違いが出てくるのは当然だろう。

彼は今でもときどき電話をくれる。ただし、言葉の一つ一つに彼がはじく算盤の音が聞こえるような気がしてならない。今の彼の目には、色んな人に貼られた値札が映っているように見える。

彼はお金がないのだ、という。僕の十数倍、いや下手をすれば二十倍を稼ぐこともあるかも知れない彼が、である。

お金は大切、そのことを否定する気はさらさらない。ビジネスや資本主義のルールに則った腕試しも、正直言ってかなりエキサイティングだ。けれども、僕はそのゲームからおりた。今は高校生のアルバイト程度のお金だけしか得られないが、心は充足している。

はたして成功したはずの彼の心は助かっているのだろうか?

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